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JANJAN映像メッセージ 発言概要
堀田力の新しいふれあい社会づくり
(2005年12月5日撮影)
No.4 「子どもと共に生きよう」(1)
●むごい事件が続いていますね?

  子どもが被害者になる事件には、大人が加害者になる場合と少し年長の少年が加害者になる場合と両方あるが、大人が加害者になる事件は昔からあることはあった。子どもたちでないと性的欲求が満たせないというか、子どもへのそういう欲求が強い人たちがいて、そういう犯罪がいつまでたってもなくならないのは残念だ。

 人間が持っている、一部の男性が持っている一つの特徴というか残念なところだ。性的には大人の女性を相手にすることができないというか、何となく支配されているというか、性的にも人間的にも未熟な点を子どもにはけ口としてぶつけてしまうところがあって。ほかの国、特にアメリカなど結構厳しいのだが、一種性質のかたより、病気と言っても良いかもしれない。

 今度(広島事件)のカルロス容疑者が「悪魔の仕業だ」といっているのは、ちょっと聞くと言い逃れのようだが、あれは彼が言っているとおりで、彼の感覚では、性的に狂って、自分のゆがんだ性的欲求に彼は負けたのだ。平素は理性で押さえているのだろうが、ある一瞬負けてしまって。もちろん彼に責任がないということは決してなくて、彼という人間がやっているのだが、彼の理性がそこで完全に負けてしまった。それを「悪魔が入ってきた」と表現していると思う。だいたい性的犯罪とはそういうものだ。大人に対する強姦もそうだが、理性が性的欲求に負けてしまう。

 一種の病気、しかも非常に危険な病気だから、人権の問題もあるが、それ以上に社会を守るために、そういう性的なゆがみのある人はきちんとその後も追跡して、アメリカのように地域の人に知らせるところまでやるかどうかは問題はあるが、少なくとも地域の警察官とか子どもを守る関係者にはきちんと情報を与えてやるという仕組みをとらないと。ちょっと日本がその点についての対応が甘かった。そこを突かれていると思う。これだけ世間を騒がせたのだからその仕組みをしっかりつくることが大事だ。大人の性的な犯罪は、いつでも今後もありうるし、かってもあった犯罪だ。

●子どもが加害者になる事件も目立っています。

  むしろここ2、3年規模で見ると、年長少年が年下あるいは同年配の子どもたちを刺したり非常に残虐な行為があって、これは犯行の態様の残虐化という点で昔とはだいぶ様変わりしていると思う。少年犯罪は非常に残虐性を持つ方向に進んできた。私が検事をしていた若かった頃も親殺しはあったが、それが祖父殺し、保護者殺しというように広がり、やがて近所の関係のない大人を殺したりさらに広がってきた。オヤジ狩り、ホームレス殺し、無関係の人を殺し、それから同年配の子どもたちを残虐な方法で殺すというように年代を追って残虐化を増しているという点で、私はこれが一番憂慮する傾向だと思う。

●地域社会で考えるべきこと?

  完全に守ろうとなると、すべての子どもにすべて大人がついて家まで送り迎えするということになり、そのうち車で送るというような話になる。ただ被害から守るということだけを考えれば、ものすごいエネルギー、労力がいるし、そんなことはおそらく不可能だ。守ることだけを考えると完全な制度ができないうえに、こどもの自立という点から考えたら非常に大きなマイナスになる。こどもが依存症になってしまい、いつまでたっても守られる立場だと思いこんでしまう。そこをすり込んでしまう。恐怖感だけで大人を見るようになって大人との信頼関係も築けない。マイナスの方が大きい。今度の事件に反応して、全部守ろう、こうしようというのは、トータル日本中あんなことをしたら大きなマイナスを被るし、しかも完全に防ぎきれないだろう。防ぐ効果ということからいえば、そういう性向を持った人を大人たちがチェックすることが効果が大きいと思う。

 何もしなくていいということではなく、これをひとつの教育チャンスととらえて、ごく一部の大人がいてそういう危険があるということを子どもたちにはまずしっかり教える。しかし、それは交通事故にあう可能性よりもずっと低い。ただ残念ながら、一部そういう大人がいる。だから自分たちでまず気をつけようと。どの辺が危険かなど、子どもたちで調べる運動をするところが出ているのは非常にいいと思っているが、まず子どもたち自身で自分たちをどう守るか、道路を調べる、そういうことが起きないようにある区間はここは大人に立ってもらうとか、ここには街灯をつけるとか、そこを通らないようにするとか、子ども同士で集まって、特に年長の子が幼い子を守りながら通学するという、そういう子どもたち同士の知恵、自発性に基づく工夫、守る登校の仕組みを子ども自身が考えだす。どうしても子どもだけでやれないところを大人に依頼する。

 警察に依頼する場合も、ボランティアに依頼する場合もいいが、子どもたちに考えさせる。特に年長少年、絶好の教育の機会だから、地域を調べさせ、そして大人たちに協力を求め、させるという風にリードすれば、こどもの教育上プラスになる。年長の子も、低学年の子も入ってどこが怖いと聞けば、一年生の子どもだってここが怖いとかここが心配とか考えさせればちゃんと意見を言う。工夫すれば相当部分は子どもたち同士でやれる。グループでやるとか、低学年は学校に残すというならそこに大人を入れて、こども同士が遊ぶ子どもの居場所作りを大人がアシストするとか、こども主体に防ぐ仕組みをつくるというのが効果的だし、マイナスがないと思う。

●大人が果たす役割は?

  昔の町内会方式とかPTA方式で割り当ててここをこうしなさいではだめだ。そんなことできない、何でそんなことをしなくてはいけないんだということになる。日本の地域社会の崩壊を町内会が防げなかった、むしろマイナスになってしまった。それをまたここに繰り返すことになる。大人も自発的に自分たちでやろうという大人たちが集まって、特に定年退職者は地域へ知恵の出しどころだ。地域に根っこにない人がいっぱいいるのだから、孫世代のため日本の将来のためひと肌もふた肌脱ぐ、知恵を出しましょうと、放課後年少少年残すときに、入って仕切ってはいけないが、要所要所にたつ、声かけ運動をやる、地方では彼らが地域に入ってくれば不審者はわかる、そういう地域愛をうまく引っ張り出して大人たち同士も任意に一所懸命やってくれるという姿を子どもたちに見せる。割り当てて大人がぶーぶー言いながら、あっちがこっちがなんてやっていたらマイナスだ。そういう仕組みが良いと思う。

 法定刑(刑法の強制わいせつ罪の法定刑)は10年でいいと思うが、たぶんあまり効果ないだろう。性的犯罪は衝動犯だ。衝動に駆られたときは理性がそれこそ悪魔に乗っ取られて働かないから、これやったら見つかるとか処罰されるとか、そういうのは飛んでしまう。こんどのカルロス容疑者の場合もそうだ。外へ出したりすれば足がついてつかまるということはわかるはずで、その辺は実に無防備そのものだ。絶えざる見守りしかない。見守られているという、つけ込む余地を与えないというか、たえず見張られているという認識を持たせるというか、それしかないかもしれない。

(インタビュアー(文責)/ジャーナリスト・元朝日新聞論説委員 大和 修)
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 [日付は更新日]
2005年11月21日 No.3 「地方からモデルをつくる」
2005年11月21日 No.2 「助け合いのネットワークを」
2005年11月8日 No.1 「小泉改革への注文」
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