政治・経済・社会
(財)さわやか福祉財団ホームページへ
 
JANJAN映像メッセージ 発言概要
堀田力の新しいふれあい社会づくり
(2005年12月22日撮影)
No.10 アジアの共助社会に学ぶ
●アジアの少子・高齢化
  日本を追って、しかも、日本の少子・高齢化の進行は今まで先進国の中でトップのスピードで進んできたが、韓国も中国もそれを上回るスピードで少子・高齢化が進みつつある。それで、大変におこがましいのだが、私はもう3、4年前になるが、マドリード(スペイン)で世界の第二回高齢者問題の大会があって、世界のNPOが集ったが、そこで、アジアにおける高齢化の経験を分かち合おうというので会を呼びかけて、いろんな国の方が参加してくれた。

  そのときまでは私はこう考えていた。
  日本の少子・高齢化はもちろん韓国や中国よりは、2〜30年先に進んでいる。それで、高齢化対策について日本は失敗したと私は思っている。現在は世界の中では最高のいい対策をとっているのだが、日本は一度経済成長の方にもう国力のすべて、国民の力のすべてが行ってしまって、そういう意味ではすばらしい経済成長をすごいスピードで遂げたのだが、いったん経済成長を遂げて経済大国になった、このときに、みんながすごい勢いで競争したので周辺の人が競争相手になってしまい、それまでの温かい助け合いのコミュニティーが壊れてしまった。特に都市部では完全に壊れてしまって、そういう共助が消滅してしまった、ほとんど。そして、自助と公助だけになってしまった。

  で、そこからまた、いや大変だというので、高齢化が進むというので、公助の方でいろいろ手を打ち出した。だから介護保険制度もつくり、公助の仕組みはなかなかそれこそ世界トップのいい仕組みをつくってきたが、公助だけだとものすごいお金がかかる。税金をいっぱい納めなくてはいけない。その前に自助ではやれない共助があって、かなりの部分がここの助け合いの仕組みでやわらかくあればそこで結構安心できて、そんなに税金をたくさん放り込まなくても、ちょっとした近所との助けあいでやれるものが多いわけだ。いまはそれがないからだれか倒れたら救急車を呼ぶしかないし、近所に助けてなんていうのもないし、ヘルパーさんだって、隣の人にうちに助けにきてもらうとか、誰か子守に来てもらうということもないんで、何かしてもらおうと思ったらヘルパーさんに来てもらうしかない。これが全部お金がかかる。

  一度経済発展だけに注力して、コミュニティーを壊してしまって共助をなくしてしまってそこからまた復活しているから大変な手間とエネルギーがかかっている。これはもったいないので、なんとかコミュニティーを壊さず、いろんな助け合いもしながら経済も発展させる。今の韓国も中国ももう日本の20年前、30年前と同じで、金を稼ぐことに必死で、いかに経済成長するか、いかに自分がお金持ちになるか。日本がどんどんコミュニティーを壊して、経済競争一本にしていった、その段階そのものだ。

  これはもったいないので、なんとかもっと助け合いを壊さずに、しかも経済発展ともうまく合うような、そういう社会の作り方ができないだろうか。そういう点で、失敗者としてアドバイスできれば、彼らは余計な回り道をしなくて済むだろうと。大変おこがましいが、そういうことを考えてアジアに対する呼びかけをしたりいろいろやってきた。経済成長が乏しいときはお金がほしいし、なかなかむずかしい課題ではあるのだが。

  ただ、私が感心しているのは、韓国も中国も、みなさん介護保険もないし、いろんな年金だって、日本よりずっとずっと低い。中国などごく限られた共産党の人たちしかないし、非常に経済的条件は遅れている。そういう整備は、日本よりも、日本の過去の発展段階にくらべても、特に中国などは遅れているが、その代わり私が本当に感心したのは、やっぱり自分たちでやろうという自助の精神だ。これがすごく強い。

  だから、あまり介護保険などの話をしても、中国など特にそんな夢のような話できないでしょうと、期待もしていない。その代わり勉強する機会がほしい。それによって能力をつけて稼ぎたい。いくつになってもだ。そういう意欲がすごく強い。韓国も同じだ。

  日本では我々はまず自助、自立ということが大事と言い続けてきたが、そういうことを言っている我々だって結構甘えている。そこは大きな反省だ。精神的に、政府は何している、もっと制度つくれ、介護保険のここがおかしい、医療保険制度のここがおかしいという、そっちの方へわぁっーと行っている。韓国の人たちも中国の人たちも、そんな、もう全然、マドリードで会ったフィリピン、インドネシア、タイ、マレーシア、そんなこと全然、だから、我々が介護保険を説明しても全然興味がない。してもらおうなどと思っていない。自分たちでやろうという。その意欲がすばらしい。

  だから共助を言おうと思ってきたが、まずその前段の自助がすばらしい。自助の意欲があれば、自然に共助をするようになるのだ。

●アジア諸国の自立心に学ぶ

  だから、我々の過去の経験をもう洗いざらい、教えるというのは本当におこがましいので、我々はこういう事態のときにこういう風に対応してきたという、そこのところをすべて伝える。それと同時に我々の方は、アジアの人たちの持っているあの自立心をしっかり学ぶそして、その自立心というのは、私どもの年代から団塊の世代、あるいはその下の、今の若い人たちがもう頭から与えられて、管理されて、依存するなかで、どっぷり浸かって育って、それが問題だということも気づかない、育てている大人たちも気づかないという、それは日本が豊かになったことの現れでもあるのだが。

  私は日本の子どもたちをもっともっと幼いころからアジアに出す。1年間、2年間、3年間、あるいは一学期くらいは当然出して向こうの家に入って生活をしてくるという。アジアからももちろん来てもらうことも必要だが、アジアから来る人は日本の制度、技術面を学ぶ人が来てくれればいい。あるいは日本に帰化してくれる人が来てくれるのはなおありがたいが、アジアからはそういう制度面、技術面を学んでもらう。日本は向こうのいわば生き方、基本的な精神、自助の精神、自立の精神を子どもたちの時から身につけさせる。そういう相互交流をやることによって、経済面、技術面でもレベルが一緒になる。(日本は)人間面では明らかに私は後退していると思う。人間の生き方の姿としては。

  これだけ管理されてなんでもやってもらえる。フリーターになっても死なない。ニートまでたくさん出ているというのは、人間的には私は退化だと思う。それを日本の中で解決するのはたぶんむずかしいだろうから。あの厳しい中で一度やってもらうくらいの人的な交流をどんどん進めていって。で、両者が同じ経験をして、人間面でもいろんな仕組みの面でもわかるように同じようなレベルに近づけていく。そういう共同体にすることが大事かなと思う。

●東アジア共同体について

  共同体としてアジアとはむずかしいとか、そういう議論のすべての前提は発想がすべて国単位なのだ。国としてどうあるべきかという、そういう発想でどっちにつくとか、どこと交流するとか、どことどうするとか、全部そういう議論だ。それは、外交の場で、政治の責任者たちが議論するときは当然そういう議論で、まさにそのことを大前提としてしか、外交も国際会議もありえないが、施政者というのは国民とは違うわけだ。

  国民とまったく離れてしまった施政者もいるし、国民といかに密着している施政者だって、ぎりぎりになったら国民の意向に反することをやれば施政者の地位を失ってしまうのだ。大事なのは施政者がどう判断してどうするかではなくて、国民同士がそのレベルで交わる、あるいは経済交流ももちろん基本だし、一番やりやすいし、どんどん進める、それと合わせて社会的な交流を進める、人の交流を進める。

  そういう意味で、国民である前にすべての国民は人間だから、国民の前の人間としての交流というのは誰でもできる。北朝鮮のすり込まれた人たちを除けば、世界に目を開けば、どこの国民だって同じ人間ではないかという共感は持てる。それだけのグローバル化、情報化が進んでいるから十分できるのだ。
 
  国民レベルで政治の意向、どっちと結ぶとか、施政者が何を言おうと、やっぱり近くの人たち、親近感を持っている人たちと交わっていけば、そういう流れができる。やがて政治の方も、国の方もそちらの方についていかざるをえない。EU諸国はそういう風にしてできあがったと思う。それと同じことをアジアでも、まず国民の交流から進めていくということが大事だと思う。

(インタビュアー(文責)/ジャーナリスト 大和 修)
バックナンバー   一覧へ
 [日付は更新日]
2006年1月15日 No. 9  ロ事件から30年 今の社会 (「No8 年明けに思う」から続く)
2006年1月4日 No.8 年明けに思う
2005年12月17日 No.7 改革を阻むもの
  このページの先頭へ
堀田ドットネット サイトマップ トップページへ