政治・経済・社会
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JANJAN映像メッセージ 発言概要
堀田力の新しいふれあい社会づくり
(2005年12月5日撮影)
No.7 改革を阻むもの
●官僚の抵抗について

  そうですね。それは官僚の立場からすれば当たり前なんで、あれは官僚の権限を切り落とすという話だから、権限を切り落とすと言うことは、人も当然切り落とすということでもある。つまりは官僚の組織体の手足を切り落とせと言う話だから、一体意識の強い日本の官僚組織が抵抗するのは当たり前のことなのだ。

  それを変えるためにはやはり政治家が思い切って大手術して、こうしろと官僚に命じないとむずかしい。官僚にあなたの手首を切り落としなさいといっても切り落とすふりして落とさないのに決まっているから、言うだけではなく徹底的に実行するところまでやるということ。それをやらないと改革は成就しないが、残念ながら多くの政治家が官僚依存で、口では言っているけれども裏に回ったら官僚の味方をしている、そういう政治家の方が大多数だ。それはまあ、選挙で世話になる、政策は官僚が提供するというので政治家はやむをえないのだが、そこがどうにもならないというので改革がなかなか本物にならない。

  だから政治に全責任はあるのだが、それを押し流すにはやはり国民しかない。国民がそっちの味方をしている政治家は当選させないよと、むしろどれだけやったかで投票するよとしっかり見ればいいのだが、国民に情報がなかなか届かない。手抜きが上手だ。

  道路公団改革は国民には見え見えで結局形だけで民営化したが、いま決まっている工事は全部やるというのだから、これは露骨な抵抗の姿が見えているが、たとえば官庁の改革で、橋本さんのときに厚生省と労働省がいっしょになって厚労省になったとか、いろいろ名前が変わったが、あれで国民はいちおう行政改革がある程度やれたのかなと思っていると思うが、これが大間違い。全然あれはやられていないですよ。次官の数は減ったが次官に相当するのは審議官で、人事だって全部合体したところは別々にやっている。旧厚生省と旧労働省の人事は別々にやっている。ちょっとまぜてごまかしているだけだ。権限も重複しているが全然前の通りで、名前を変えただけの話。きれいにごまかされている。何か進んだかと思ったら実質なんにも進んでいない。権限の合理化、人員合理化などなんにもしていない。

  今度の特殊法人改革も8つを1つにしろと、民営化するところは成果があるとは思うが、ほかは権限はほとんど変わらないだろう。そんなことから始まって、非常に単純なごまかし方から巧妙なごまかし方まで役人がごまかしているだけだ。実に上手にやっている。

  公益法人改革もいちおうやるような格好して、答申では不満だけど前進したようにも見えたが、いま作成中の法案の中身は伝わってくるところによれば、巧妙に変えないようにやっている。具体的な条文の話になるが、例えば公益法人の判断で営利事業と競合する事業は公益性を低い評価をする、あるいは税金を課するということだが、それ自体は営利企業と同じことをやっていれば税金かかるのはしょうがないと一般には思うだろう。しかし、本当に同じようなことをやって同じように儲けているならわれわれも異論がないが、伝わってくる今の案によれば、営利企業と競合する「性質の事業」と「性質の」と入れている。

  そうすると、われわれがやっている分野の福祉でいっても、たとえば福祉タクシーとかは、200円とか300円とかガソリン代をもらって病院に高齢者を運ぶとか、高齢者の家に行っていろいろお世話をするとか、全くタダだと相手の気持ちがすまないというので謝礼金の形で500円とか700円とか800円とか頂戴するという仕組みになっているところもある。ボランティアとしてやっているのだが、これはそういうお世話をしないと営利事業では世話してもらえない、タクシーを呼べないから、みんなボランティアでやっている。これは競合していない、客層が全然違うわけだから。営利事業を利用できないからこそそうせざるをえないからやっている。

  ところが競合する「性質の」と三文字が入ると、「性質」からいうと人を運んでお金をもらうのだからタクシー業と同じ。人の家に行ってお世話してお金をもらうのだから家政婦業と同じ、あるいは介護事業と同じ。形だけみたら同じではないかということになって、それはいろんな営利事業でやれるのだから形を取り上げればほとんど同じになってしまう。それをこの「性質の」という一言を入れることによって、税金をかける方、規制をする方にもっていく。この巧妙なすりかえというか、そんなことは答申のなかにも出ていないのに条文のなかに入れようという、こういう一例に過ぎないのだが。

  いろいろなところがその手で、政治家が一応こちら側の意見も入れてこうしろといったときには「はいはい」といいながら手抜きにかかる。すべてそうだといってもいい。

●三位一体改革のこと

  三位一体、あれは地方分権だが、あれは結構見えて良かったが、最後は小泉さんも数字で3兆円やれとなった。本当は数字が問題ではなくて、国の権限について、地方には国が使っていたお金をこれだけいらなくなるから地方税をこれだけ増やしていくよというこれがあるべき地方分権だが、それをやっていては進まないというのでお金の方で3兆円というのをやった。拙速だが早くやるにはいい手ではあった。

  ところが3兆円の中身に盛り込むのは結局義務的経費で、地方であろうと国であろうと払わざるを得ない、そういうお金ばかりを出してきてそれでは権限委譲にならない。地方の裁量権をふやしたことにならない。地方分権にならない。最後は生活保護費で、これはもう削れる性質のお金ではないから。そこのところの抵抗になって一応厚生労働省が落として、いくつか出してきた中に施設整備費などが入っていた。裁量経費を地方にやるのはいい。地方分権上、地方ががんばって、国民もわかって、政治家も動かざるを得ない。なんとかしろということでいいものができた。だから、ちょっとは前進するのだけれど、あれは珍しく中身がわかりやすく解説されて国民が理解されたからやっと成果が出たが、国民がわからないところでされているとすると手の抜き放題。そこはきちんと政治家が入ってそういう目で見て作業についてきちんとチェックしないといけないのだが、そこをやる意思も能力もないというか…。

●地方のやる気が問われている

  小泉さんの改革意欲は内政についてはほとんどはいい。もっとやさしさを、生活をというのはあるが。経済の限り、行政改革の限りではいいと思う。地方は、地方分権、3兆円についてはがんばったが、そのほかに地方の権限を回しますよというのはいっぱいある。介護保険制度も医療改革も地方に権限をまかせましょうといっている。権限はまかせましょうといっているわけだが、地方としては権限をとり、それを元にお金も人もとって、それでやろうというのが地方分権の進め方だが、裏でいらない、そんなもの来てもやれないと権限を押し戻している。とくに厚生関係で多い、医療改革がそうだ。折角地方でやれといっても、やれませんといっている。

  やるということになったら、どこがやるんだって、国だってゼロからやったのだから。医療のことを知っている人、国から役人をもってくればやれる。面倒なものが来ては大変だという。地方のこんどは役人、役場の反対だ。

  やる気がない。地方包括支援センターでせっかく3万人に一つつくることにして法律も通ったが、地方にとっては最高の権限であり仕組みだ。そこにいろんな人を集めて包括的に地域全体の住民の介護、ケアをやっていくという、そこに医療も入っていく、自分のところでネットワークを組む最高の仕組みなのに、そこを使っていい行政をやろうという地方自治体が数えるところしかない。

  (問題は)首長だ。首長がやる気だったら自分の部下だから役人だからやれと言えばやる。そのときに気持ちがこもっていない。言われた最小限度にしようというのが大多数だが、意欲的な人が地方にもいる。それが目覚めてすごくいい制度をする。介護制度はそういうことで相当全国で成功した。そういうモデルがあるのに医療についてはやる気がない。地域包括支援センターも介護保険をさらによくしようというのに「もうこれ以上は」という自治体が多い。地方のまず役人、地方公務員にやる気がない。首長も地方公務員のほとんどいいなりになっている。そういう首長を当選させてしまっている地方のやっぱり選挙民、住民だ。

  (モデルになるところは)出てきている。出てくると周辺が少しずつよくなるから住民がそうやれと言うから少しずつよくなっている。悲観はしていないが時間がかかる。なんで腰上げないのと腹立たしいですよね。

(インタビュアー(文責)/ジャーナリスト・元朝日新聞論説委員 大和 修)
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 [日付は更新日]
2005年12月16日 No.6 「子どもと共に生きよう(3)」
2005年12月13日 No.5 「子どもと共に生きよう(2)」
2005年12月13日 No.4 「子どもと共に生きよう(1)」
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