そうですね。それは官僚の立場からすれば当たり前なんで、あれは官僚の権限を切り落とすという話だから、権限を切り落とすと言うことは、人も当然切り落とすということでもある。つまりは官僚の組織体の手足を切り落とせと言う話だから、一体意識の強い日本の官僚組織が抵抗するのは当たり前のことなのだ。
それを変えるためにはやはり政治家が思い切って大手術して、こうしろと官僚に命じないとむずかしい。官僚にあなたの手首を切り落としなさいといっても切り落とすふりして落とさないのに決まっているから、言うだけではなく徹底的に実行するところまでやるということ。それをやらないと改革は成就しないが、残念ながら多くの政治家が官僚依存で、口では言っているけれども裏に回ったら官僚の味方をしている、そういう政治家の方が大多数だ。それはまあ、選挙で世話になる、政策は官僚が提供するというので政治家はやむをえないのだが、そこがどうにもならないというので改革がなかなか本物にならない。
だから政治に全責任はあるのだが、それを押し流すにはやはり国民しかない。国民がそっちの味方をしている政治家は当選させないよと、むしろどれだけやったかで投票するよとしっかり見ればいいのだが、国民に情報がなかなか届かない。手抜きが上手だ。
道路公団改革は国民には見え見えで結局形だけで民営化したが、いま決まっている工事は全部やるというのだから、これは露骨な抵抗の姿が見えているが、たとえば官庁の改革で、橋本さんのときに厚生省と労働省がいっしょになって厚労省になったとか、いろいろ名前が変わったが、あれで国民はいちおう行政改革がある程度やれたのかなと思っていると思うが、これが大間違い。全然あれはやられていないですよ。次官の数は減ったが次官に相当するのは審議官で、人事だって全部合体したところは別々にやっている。旧厚生省と旧労働省の人事は別々にやっている。ちょっとまぜてごまかしているだけだ。権限も重複しているが全然前の通りで、名前を変えただけの話。きれいにごまかされている。何か進んだかと思ったら実質なんにも進んでいない。権限の合理化、人員合理化などなんにもしていない。
今度の特殊法人改革も8つを1つにしろと、民営化するところは成果があるとは思うが、ほかは権限はほとんど変わらないだろう。そんなことから始まって、非常に単純なごまかし方から巧妙なごまかし方まで役人がごまかしているだけだ。実に上手にやっている。
公益法人改革もいちおうやるような格好して、答申では不満だけど前進したようにも見えたが、いま作成中の法案の中身は伝わってくるところによれば、巧妙に変えないようにやっている。具体的な条文の話になるが、例えば公益法人の判断で営利事業と競合する事業は公益性を低い評価をする、あるいは税金を課するということだが、それ自体は営利企業と同じことをやっていれば税金かかるのはしょうがないと一般には思うだろう。しかし、本当に同じようなことをやって同じように儲けているならわれわれも異論がないが、伝わってくる今の案によれば、営利企業と競合する「性質の事業」と「性質の」と入れている。
そうすると、われわれがやっている分野の福祉でいっても、たとえば福祉タクシーとかは、200円とか300円とかガソリン代をもらって病院に高齢者を運ぶとか、高齢者の家に行っていろいろお世話をするとか、全くタダだと相手の気持ちがすまないというので謝礼金の形で500円とか700円とか800円とか頂戴するという仕組みになっているところもある。ボランティアとしてやっているのだが、これはそういうお世話をしないと営利事業では世話してもらえない、タクシーを呼べないから、みんなボランティアでやっている。これは競合していない、客層が全然違うわけだから。営利事業を利用できないからこそそうせざるをえないからやっている。
ところが競合する「性質の」と三文字が入ると、「性質」からいうと人を運んでお金をもらうのだからタクシー業と同じ。人の家に行ってお世話してお金をもらうのだから家政婦業と同じ、あるいは介護事業と同じ。形だけみたら同じではないかということになって、それはいろんな営利事業でやれるのだから形を取り上げればほとんど同じになってしまう。それをこの「性質の」という一言を入れることによって、税金をかける方、規制をする方にもっていく。この巧妙なすりかえというか、そんなことは答申のなかにも出ていないのに条文のなかに入れようという、こういう一例に過ぎないのだが。
いろいろなところがその手で、政治家が一応こちら側の意見も入れてこうしろといったときには「はいはい」といいながら手抜きにかかる。すべてそうだといってもいい。 |