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JANJAN映像メッセージ 発言概要
堀田力の新しいふれあい社会づくり
(2005年12月5日撮影)
No.6 「子どもと共に生きよう」(3)
「子どもは未来を求めている」という堀田氏の詩がある

子どもたちは 未来を求めている。
子どもたちは 希望にあふれている。
子どもたちは 愛を求めている。
子どもたちは いっぱい知りたがっている
  そして
子どもたちは 役に立ちたがっている
それが 子どもの育つ力
私たちは 子どもたちが 自分たちの力で
思いきり育っていくのを 手伝おう
  邪魔しないで 歪めないで
彼らが 自分で考え 自分で感じ
いろんな人と交わりながら 学んでいくのを手伝おう
私たちの未来のために

今回の話は、そのコメントから始まる。

 あれは子どもNPOセンターのフォーラムをやったときに、立ち上げの頃だが、全国から5人の知事さんが来てくれてやったときに、集まった人たちに対して発したメッセージで、ともかく子育てに熱心で参加してくれるのはありがたいのだが、仕切ってくれるなよと、管理を強化してくれたのではむしろ逆になるから、子どもの伸びる力をまず認めることが大事だと、そのアピールを出さないと、熱心な人の中に危ない人がいるから、そういう思いで出した詩だ。

●「総合教育」をめぐる論議について

 底流としてはかつての偏差値教育は、いまも全くその流れだが、子どもたちを危なくすることはだいぶ保護者たちはわかってきたし、心ある先生方もわかってきた。小学校レベルでは総合的学習の時間は保護者もすごく支持しているし、先生方も支持の方が多い。ところが先生方の中でも、人間性育てるというよりは、自分の教科を教えるだけで大変と、そっちで精一杯という先生方は人間を育てるなんて反対で、勉強さえできればいいと言う価値観にとらわれている大人たちと先生方、大学の先生方を含めて、これが教科、教科ということを強調して、ちょっとテストの成績が落ちると大騒ぎをする。

 人間を育てることを考えていない。教科だけ。これはエゴなんですよ。先生はそれが楽なのだから。大学の先生も教科だけ教えていれば楽だし、下の方で教えてくれればもっと楽できるから。結局、自分の城に閉じこもって楽したいのだと思う。子どもをちゃんと教える意識のない人たちが教科が落ちたら大変、教科、教科という。そんな流れになっている。それに乗って教科万能主義者、これは本当にそう信じ込んでいる政治家とか有識者がいるのだ。前の文部科学大臣も東大、大蔵省、政治家。その前も勉強ができた。勉強ができて人からほめられて、勉強ができることが一番大事だと信じ込んでいる人たちが力を持つと、自分の路線にともかく引き込もうと、すべての子どもたちをという、とんでもない視野の狭いことを、しかし善意で、確信犯で、そっちへ引っ張ろうとするのだ。

 学力低下はそんなにしていないと思う。米国、フランス、ドイツ、イギリスなどより日本が上だ。日本より上はシンガポールとか、今高度成長の真っ最中のところ、それから子どもたちのまったく自主性を認めた教育に変えた北欧の国だ。上の方はたいてい発展途上国で、ちょうど日本が勉強して日本の学力がずっと上だった頃の成長段階で、勉強さえできればいいところへ就職して、お金を儲けて、あれが買えて幸せだというそういう国だ。個性を認め、自由を認め、個人の幸せを築こうとしている国は学力は全部下だ。それは当たり前だ。全部が平均点なんて意味がないのだから。

 だから、そこは学力低下は問題ではない、むしろ個性を認めている。それを全部引き上げようという思想は平等主義だから突出させないという風につながっている。ここは大問題だ。国を憂える人たちがもっと科学を勉強させろ、日本は負けるというのは、画一教育で突出させないから全部を引き上げることが大事なのではない、研究していることが幸せで幸せでしょうがないという子どもたちもいる。この子らは学年にとらわれずにどんどん伸ばして、思い切り自分で考えさせる。日本の学者たちも米国へ飛び出せばいろいろ発明したりする。その子たちはそういう環境をつくって思い切り伸ばしてやればいい。好きなことをそれぞれの子にやらせれば、科学を好きな子はもっともっと伸びる。日本は発明力がない、模倣だというが、それは画一性だからで、もっと伸ばせば、日本人だって海外でどんどん新しいことを考えている。それを国内でやらせれば日本の科学は世界に冠たるものになる。それも彼らの発想はその逆だ。思い切りそれぞれの個性にあったことをさせてそれぞれの能力を思い切り伸ばすことをやれば、彼らの心配はなくなるのに、逆に仕切って、全部を上げようなどと馬鹿なことを考える。上がりたくない子はくずれておかしくなっていって、それこそゆがんでいって少年非行の方にいってしまう。伸びたい子はつきあわされて伸びないということになる。

●「総合的な学習を推進する緊急シンポジウム」(05年8月)及びその「緊急アピール」について

  あれはタイミングはかってやったので結構よく効いた。審議会の委員も読んでくれて。総合的学習の時間を減らせと前の文部科学大臣は言っていた。減らせという答申はともかく避けられた。ただ、ペンディングになってしまってそこの問題を避けてしまった。よくやるやり方だ。現場に任せてしまった。現場では英語をとるか、総合的学習の時間とるかという選択を迫られることに実態上なっていくから。英語をとるところは結構出てくる。そのとばっちりを総合的学習の時間が受けてまた知識教育に戻っていくおそれは十分残っている。答申は最悪のところへ行くことは避けられたが、まだ全体の流れは十分危険であると。だいたい文部科学省が仕切ろうというそこがおかしい。

 勉強好きな子を集めてグーッと伸ばすというのはいいモデルだから、そういうやり方をすればいい。知識科目の勉強が大嫌いな子、そういう子ばかりを集めてそれぞれのいいところを伸ばしているところもある。それからいろいろまぜこぜで違う能力を伸ばしているところも中学、高校が出ている。それぞれにやらせればいろんなのが出てくる。それで、それぞれの学校の全体で考えて自分たちに 合う方針でとらえて伸ばす。そういういかなる意味でも役に立たない、方針のない学校は父兄の選択で淘汰されていくのがいいので、学校の先生を信じ、父兄を信じてその力に任せていく。そっちに変えないと危険でしょうがない。

●今後の取り組みについて

  私たちはともかく人間教育だ。こどもをゆがめるな。子どもの伸びる力を認めて彼らが自発的に伸びるように一生懸命支えていこうということを第一に、その最大の敵が知識偏重教育だから画一的知識偏重はやめて、好きな子は思い切り勉強させるように、そういう仕組みに変えていくように提言を続けていく。それと何といっても多様性が大事だ。文部科学省に仕切れるはずがない。最大限、地域に任せていこうという、それも続けていきたいと思う。

 いい方針の大学もこれから出てくる仕組みにはなった。独立法人になって。それも監督は強すぎるが。ある程度の仕組みにはなった。人気を得なくては学校が成り立たない。そうすると目覚めが親、目覚めた子どもたちが選ぶようになる。子どもたちが選ぶようになっていけば知識だけではもう子どもたち来ないということがわかっ
てくる。そういうところから変わっていくと思う。いろんなすばらしい試みが出ているからすてきな、人間味豊かな子どもたちを育てるところを紹介してほしいなと思いますね

(インタビュアー(文責)/ジャーナリスト・元朝日新聞論説委員 大和 修)
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 [日付は更新日]
2005年12月13日 No.5 「子どもと共に生きよう(2)」
2005年12月13日 No.4 「子どもと共に生きよう(1)」
2005年11月21日 No.3 「地方からモデルをつくる」
2005年11月21日 No.2 「助け合いのネットワークを」
2005年11月8日 No.1 「小泉改革への注文」
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