更新日:2007年6月6日
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人間開花社会をつくろう
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働きたいのに働く場がなく、あるいは働いても生存に必要なお金が得られないような社会は、人を不幸にする社会である。
資本主義社会は、封建主義社会に比べれば、人々を非合理的な社会のくびきから解放し、格段に大きい幸せをもたらしたが、しかし、理想の社会に比べれば、大きな限界を持っている。限界は、資本(企業)が人に優先するという仕組みから生まれる。人を雇うにも競争原理が働くから、働きたくても働けない人が生まれるし、競争が激しくなると、働いてもその報酬が少なくて人間らしい生活が営めないという事態が生じる。
しかし、人間社会にとって最も重要なものは、資本でも企業でも経済でもなく、それぞれの人間の幸せである。
そうとすれば、従来の資本(企業)の仕組み、つまり、市場の仕組みでは雇用されない人々については、彼らが働くことを望んでいる限り、彼らの能力や意欲を生かす雇用の場をつくり出すことに取り組むべきである。
たとえば高齢者や障害者、生活保護者やフリーターなどで、まともに働いてそのお金で生活したいと望んでいる人は、少なくない。それに対し、資本の論理、つまり、儲かるかどうかでスタートしている既存の企業に、彼らを雇ってもらおうと発想するのではなく、彼らがそれぞれどんな仕事ができるか、どんな仕事が好きかという人間中心の発想から、多様な仕事をつくり出す。つまり、働きたい人は誰でも自分のしたい仕事ができる職場を、まずつくり出すのである。それは、人間の幸せがすべてに優先するからである。
そうすれば、さまざまな仕事が生まれよう。その成果(製品やサービス)は、市場につなげてみれば、案外事業として成り立つこともある。今の市場は、コストにとらわれて多様性を犠牲にしているから、そのすき間で利潤を生み出す可能性は大いにあるであろう。市場で売れないときは、製品ないしサービスを、市場でこれを入手できない需要者(低所得者など)に、一部費用負担又は無償で提供すればよい。それは、非営利団体か、地方自治体の任務である。税の出費を伴うとしても、これを道路その他のモノに投入するよりは、ヒトの幸せを生み出すために投入する方が、はるかに有効である。また、生活保護費として消費のために投入するよりは、はるかに本人にとって幸せな投入の仕方になる。
かつて、人間開花社会の提案をしたが(本誌2005年1月号巻頭言)、社会は、ますます人間中心主義の推進が求められる情況になっている。 |
(『さぁ、言おう』2007年6月号)
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