更新日:2010年 3月10日
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つながって生きる遺伝子
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越前市で松村芙美子さんがやっておられるファミリーサポートのNPO「ひなたぼっこ」を訪ねた。ご近所の高齢者などが集う旧家の前にベンチが置いてある。午後には日差しがあふれる小さなスペース。松村さんによると「うちに集ってさんざんおしゃべりをしたのに、帰る時このベンチに集って居場所の2次会をやるんですよ」。
集まっている方々に「何の話をされるんですか」と聞くと、口々に「世間話だよ」「それが楽しいんだよ」。
日本中にかなりの勢いで、居場所が広がっている。日経新聞の記者から「何故ですか」と聞かれたので、「当たり前のことだけど、一人で居ると淋しく、集まると楽しく元気になるからでしょう」と答えた。子どもの頃から「頑張って稼いで、そのお金で自分と家族を支え、自立して強く生きよ」と教えられたが、今となってもお金はいまひとつ頼り切れない。人間、自助・自立・自己責任だけで生きていけるほど強くは出来ていないのである。だから言葉を生み、身振り手振りに豊かな表情を駆使して、人に意思、感情を伝えようとする。要するに、つながらないと生きられないのである。
そのつながりの安心感と楽しさを求める動きが前面に出てきたのは、逆説的であるが、介護保険制度が出来て身体の安心が一応確保されたことが大きいであろう。身体の次は心の満足であるが、経済も政治も展望が開けず、そちらに頼り切れないとなれば、原点に戻って、自然な人とのつながりの中で、身の丈に合った満足感、充足感をつくり出していこうという気分になるのであろう。現に今時の若者たちは豪邸、高級車、ブランド品、立身出世など物的な夢はあっさりと捨て、しっかり自分と周りの地域社会に目を転じ始めている。時代の流れの影響を強く受ける高齢者にも、同じ傾向が表れているように見える。
それが人の心の自然な動きであろう。なにしろ人類は、発生以来お互いにつながり、助け合って生きてきたのである。自助自立、稼いだ金の力だけで生きるというのは、もともと無理な話なのであろう。
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(『さぁ、言おう』2010年 3月号)
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