小泉構造改革により格差が生まれたことが問題とされ、次の総裁選の争点になりそうである。
格差是正のために競争をなくせとまで主張する声はほとんどない。それは怠惰と利権がはびこる「公平社会」への逆戻りであることを、多くの人が学んだからである。
そこで、争点は、格差を所得の再配分などによってかなり埋めるか、それとも最小限度にとどめるか、ということになる。具体的には、生活保護や年金などの社会保障を手厚くするか、ぎりぎりにするか、という政策の選択の問題として争われる。
私が抵抗を感じるのは、この争点の設定の仕方である。社会的弱者保護のためのセーフティーネットとして、社会保障の給付をどの程度にすべきかということは、もちろん、重要な政策課題である。しかし、社会保障政策の実施とあわせて、むしろそれ以上に政府が力を注ぐべき政策は、弱者をつくらない政策であろう。
まず、働くということについて言えば、年金を受給している高齢者や障害者の中にも、働く意欲と能力を持つ人が相当数いる。政府の政策は65歳までの定年延長であるが、なぜアメリカのように定年制を廃止しないのか。そして、ワークシェアリングなど、柔軟な働き方を導入しないのか。障害者の就労支援策も、まだ及び腰である。
厚生労働省のうち旧厚生省系は、それなりに少子高齢化に対応して新しい仕組みを打ち出し、実現してきているが、旧労働省系は概して時代の変化に鈍感で、経営者と労働組合を相手に時代に沿った新しい政策を打ち出していく気力と知力に欠けるきらいがある。奮起してほしい。
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次に、社会貢献活動についてである。
労働に就けず、あるいは労働に就く意思のない高齢者なども、無為に時を過ごすだけでは、心身ともに活力を失っていく。自分の生命が多くの人々により支えられていることを自覚すれば、可能な限り自分の能力を生かし、人に役立つ活動をしようと望むようになる。
学童の通学の安全を守り、授業についていけない子に教え、地域通貨による助け合いや地元商店街の活性化に参加し、認知症の高齢者を見守る。やることは山ほどある。
人に役立つ喜びは、健康保持・介護予防の効果をもたらし、また、活動の相手だけでなく、自分に人生の充実感と誇りとをもたらしてくれる。弱者が精神面で強者になるのである。
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政府は、民間で伸びつつある社会貢献活動を、コントロールすることなく後方から支援すべきである。日本政府は、欧米諸国に比べ、その意識がまだまだ乏しい。
さらに、社会貢献活動を行うのも難しい高齢者、障害者や幼い子どもたちも、人としての尊厳を保ち、卑屈にならず、人生を楽しんでほしい。
社会的弱者だから一方的に恩恵(救済)を与えるというようなサービスの仕方をすると、相手は、自ら積極的に人生を拓(ひら)く意欲を失い、卑屈になるか、依存的になって無限にサービスを要求するようになってしまう。
自立の範囲を広げるべく努力しながら、尊厳を保持して社会保障のサービスを受ける。人としての誇りを奪わず、相手を弱者にしない社会保障の実現をめざしたい。
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