更新日:2007年1月18日 |
政治−正しい判断のために |
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幸いなことに、わが国は民主主義国家であるから、選挙が、政治家の党利党略に歯止めをかけてくれる。選挙に勝つためには、国民の意向を尊重せざるをえないのである。
国民が選挙で正しい判断をするには、実情を正確に理解することが前提になる。
その視点から、最近気になることが2つある。
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1つは、消費税増税問題である。これについては与党も野党も、国民の大勢は増税反対であると決めつけているようであるが、それでよいのであろうか。
確かに消費税増税は財布を直撃するから、無条件に反発する人が多いのは間違いない。しかし、その一方で、福祉の行き詰まりを実感している人も多い。
だから、国民に財政収支の実情をあるがままに説明し、国民全体にとってもっともよいあり方は何かを問えば、消費税増税を理解する声が多数になるのではなかろうか。もちろん、法人税減税は論外であるし、支出の透明化、合理化の推進は言うまでもない。
選挙後に増税するなどという詐欺師のような政治はやめて、真に国民の利益になる道を説き、自らも身を削る努力を示して、国民の納得を得るのがあるべき政治であろう。
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もう1つは、戦争アレルギー問題である。
私も少年時代に第2次世界大戦を経験した者として、強烈な戦争アレルギーを持っている。無差別大量殺人の被害の悲惨さが身に染みているから、テロに対して激しい怒りを覚えるのと同様に、アフガニスタンやイラクやパレスチナで、爆撃などにより戦闘従事者でない民の命が奪われると、攻撃者に対する怒りに包まれる。
その感情は、生命を大切にするという、人間として当然の倫理観に根ざしているから、確固たるものである。だから、日本が戦争に近づくような動きには、本能的、生理的に反発する。
うかつにも、私は、日本の国民は、戦争体験者が残っている間くらいは、私と同じような感覚を持ち続けるであろうと思っていた。
ところが、最近の政治に対する国民の反応ぶりを見ていると、私は間違っていたらしい。戦争ないし戦後の貧困を自ら体験していない世代になると、戦争アレルギーはかなり消滅している。
考えてみれば、現に戦争に従事した政治家の中にも戦争の犠牲者に対する思いやりのない人がいるのであるから、その体験のない人で戦争に鈍感な人が増えてくるのは当たり前なのかもしれない。
だからといって、それにつけ込み、わが国が戦争に加担するような方向に政治を進めるのは、将来の国民を危険にさらす誤った舵(かじ)取りである。原爆の非人間性まで体験させられた日本は、イラク攻撃に抵抗した独仏以上に戦争の阻止と紛争の平和的解決に努力を傾注すべきである。歴史をしっかり学んで人類の存続、発展に貢献するよう国民を啓発、リードするのが正しい政治であろう。私たち世代は、老骨に鞭(むち)打って、戦争を知らない世代にその実態を如実に伝え、正しい民意が形成されるよう頑張る責務がある。
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(信濃毎日新聞掲載/2007年1月15日) |
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