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提言 福祉・NPO・ボランティア
更新日:2008年1月1日
ボランティア認知法の提言

−有償ボランティアと労働の区別−

1  なぜボランティア認知法が必要か

  (1)ボランティアは、営利事業も公共団体も提供できないサービスを提供するものである。
  そういうサービスには、大きく2種類あって、1つは、性質上営利事業も公共団体も提供できないものである。たとえば孤独な高齢者との精神的交流など、精神的要素の強いサービスは、その志を有する者しか提供できず、雇用された職員による定型的サービスになじまない。この種のサービスは、社会が成熟し、市民のニーズが物的豊かさから心の豊かさへと高まるにつれ、増える。
  もう1つは、性質上公共団体は提供可能であるが、予算の制約のため、提供できないものである。社会が成熟し、市民のニーズが多様化する一方、財政が逼迫することにより、この種のサービスも、増える。
  いずれのサービスも、これを提供するボランティア活動の社会的意義は、高まる一方である。
  (2)ところで、それらのボランティア活動には、なにがしかの謝礼金(スタイペンド)を伴うものが、増えつつある。
  これにも、大きく2種類あって、1つは受益者が謝礼金を支払うものである。
  英、米など貧富の差が激しかった資本主義の初期段階に発生したボランティアは、チャリティ(慈善)であり、富める者のノーブレス・オブリジェ(高貴なる義務)であったから、当然に無償であった。ところが、程度の差はあれ福祉国家となり、横並びの関係における相互扶助としてのボランティアが広がってくると、受益者も、全くの無償でサービスを受けるのは屈辱的に感じ、かえってサービスが受け難いという心理を持つようになる。そこから、受益者が、サービスの実費を負担したり、サービス提供者に謝礼の趣旨で何がしかのお金を渡すという仕組みが生まれる。
  日本の場合は、1960年代に発生、70年代にいくつかのモデルが確立し、90年代に数千の団体に広がった。助け合いの活動であるから、主として福祉の分野だといってよい。
  これらの団体の主たる活動者は専業主婦で、これに定年退職した男性が加わりつつあるのが現状である。彼らは、助け合いの精神で、身体が不自由になった高齢者などの生活支援をしているが、そのニーズは不定期に発生し、所要時間は比較的短時間でしかも一定しないから、フルタイムのヘルパーを常時雇用する形態の営利事業や公共事業にはなじみにくい。また、そのニーズは、介護保険制度に基づくサービスに該当するものもあるが、むしろ該当しないものの方が多い。そして、家族によるこれらのサービスを受けられない高齢者が増加する一方である。したがって、そのニーズも高まる一方である。これに応じる助け合いの活動は、介護保険制度に基づくサービスと両輪をなすサービスを提供するものとして、その必要性は広く認知されている。
  (3)謝礼金を伴うボランティア活動の2つめの種類は、地方自治体によるサービスの委託である。
  市民のニーズの多様化、高度化と、財政逼迫により、自治体がNPOや市民に事業を委託する事例が増えているが、従来行われてきた営利団体に対する委託と異なり、NPOあるいは市民のボランティア精神に期待し、人件費として最低賃金以下の金員しか提供しないケースが広がりつつある。
  たとえば、埼玉県志木市が03年に導入した行政パートナー制度は、市の全ての業務を団体に委託できることとし、委託した業務を行う市民を有償ボランティアと位置付け、時給700円を謝礼の基準としている。
  八戸市は、05年から「市民活動サポートセンター」の業務を行う有償ボランティアに1時間450円を支払っており、大阪府茨木市は、2000年から、「男女共生センターローズWAM」の業務を行うスタッフに1時間800円、アシスタントに600円を支払っている。
  同府寝屋川市がNPOに委託している駅前の迷惑駐輪防止啓発活動の人件費単位は1時間500円である。この種の委託例は少なくない。文部科学省の特別支援教育アシスタントは、有償ボランティアと位置付けられ、例えば広島市の場合、1日4時間以上の活動に対し、1時間920円の謝礼金を最大4時間分支払うこととされている。活動時間が5時間余になると、最低賃金以下となるのである。
  (4)このように、当事者(サービス提供者、受益者、サービス提供団体)の主観においては、「雇用」「労働」ではなく、ボランティア活動であり、支払われる金員は「ボランティア活動に対する謝礼」であって「労働の対価(対償、報酬)」ではない活動が、そのニーズに応じて生まれ、広がりつつあるが、わが国の法体系上これらは認知されていない。アメリカでは、ボランティア振興法などにより、ボランティア活動に対し、「最低生活水準以上最低賃金以下」のスタイペンド(サラリーではない)が支払われる仕組みが確立されているのに対し、日本では、法制度が社会の進歩に追いついていないのである。
  つまり、「労働の対価」の意義として、「反対給付として提供されれば足り、額を問わない(経済的価値の対応関係を必要としない)」旨の解釈が、行政解釈として行われ、判例によって追認されている。労働関係法令上も、職業規制関係法令上も、税関係法令上も、同じである。脱法行為の弁解を封じて取締りを効率的に行うには、このように広義に解しておく方が便利であり、ボランティア活動に対する謝礼金などの仕組みが存在しなかった時代には、取締り目的上広義の解釈を採っても、実態として不都合が生じることはなかった。
  しかしながら、謝礼金を伴うボランティア活動が生まれ、これにこの解釈を当てはめると、謝礼金は対価となり、ボランティア活動は、対価を得る労働と解されることとなる。
  すると、謝礼金が最低賃金以下のものは最低賃金法違反となり、また、謝礼金を受け取らず団体に預けておく形態のもの(時間預託制と呼ばれ、約400の団体が採用している。)は、労働基準法違反になる。また、ボランティアを仲介するボランティア団体は、無許可有料職業紹介などの職業安定法違反となる。さらに、団体の仲介は、法人税が賦課される「請負業」に問われる。
  実際、90年代には、労働基準監督署や職業安定所が、家政婦の団体などのクレームを受けて取締りを行ったし、02年には、松戸税務署が「請負業」と認定して、ボランティア団体に課税した。私はその団体の代理人として争ったが、千葉地裁、東京高裁ともに、税務署の課税処分を肯定した(注1)
  (5)ボランティア活動は、謝礼金を伴うものであろうとなかろうと、対価を得ることを目的とするのでなく志を満たす満足感を得ることを目的として活動するものである。だからこそ、営利事業が提供できないサービスが提供される。これを労働と評価し、労働報酬の市場価格並みの金員を対価とすべきこととなると、活動者はサービス提供の志を失う。また、もともと受益者がそのような価格の対価を支払えないケースについての活動であるから、活動自体が消失することとなる。
  といって、謝礼金なしとすると、受益者が遠慮するから、活動は萎縮する。
  公共団体に広がり始めた謝礼金を伴う公共サービス提供も、多くが最低賃金法などに違反することとなる。
  我々は、謝礼金を伴うボランティアと労働を正しく区別し、ボランティアの発展を妨げない措置を採る時期を迎えている。それがボランティア認知法の制定である。

2  謝礼金を伴うボランティア活動と労働の区別

 (1)労働は、対価と引きかえに行う労力の提供であり、ボランティア活動は、対価を得ず、任意に行う労力の提供である。その労力提供に対し、受益者が謝礼金を支払っても、それが労力と引き換えに支払われる対価でなければ、その活動は、ボランティア活動である。
  ここでいう「対価」とは、従来の解釈と異なり、労働の市場価値をいう。なぜなら、労働は対価を得るために行われるところにその基本的特色があり、したがって対価の支払者(雇用者)は労力の買い主として労働を支配することができることとなる。そのため支払者は一般に優位な立場になり、労働契約関係及び労力の提供関係において不当に支配力を行使するおそれが生じる。そのため、労働関係法令や人材派遣業等の職業規制関係法令が必要となる。
  一方、労力提供に伴ってその金員が支払われるとしても、それが支払者(受益者)の感謝の意を表すためのものであって、その労力の市場価値に対応し、これと引きかえに(取引として)支払われるものでない時は、謝礼金の支払者は、労力提供を支配する関係に立つことはない。労力提供自体は、あくまで提供者の任意に行われ、提供者の方が一般に優位な立場になる。したがって、契約や労力の提供関係において支払者が不当な支配力を行使するおそれはないから、労働関係法令や職業規制関係法令は必要としない。
  つまり、両者の区別は、労働の市場価値に見合う報酬(対価)が支払われるか否かが区別の基準となる。
  それが、区別の客観的基準である。
  もちろん、労力を労働として提供するかボランティアとして提供するか、そして、支払う金員が労働の対価か謝礼金かは、提供する者と受ける者との意思で決まることであるから、客観的基準と合わせ、主観的基準も必要である。法理論としては、主観的基準、つまり、当事者の意思がもっとも基本的な基準ということになる。契約自由の領域における契約の問題だからである。
  (2)以上の基準は、いわば法理論としてのものであるが、実際問題として、この基準で両者の区別を判断するのは、難しいことが多い。なぜなら、1つには当事者の意思が必ずしも明確でないケースが多いためであり、2つには、労働の市場価値を客観的に認定することが難しいためである。
  したがって、当事者の主観を認定するための推定要素を探る必要が生じる。その要素としては、以下3ないし5に述べる3つが重要であろう。

3  推定要素T―支払われる金員がその労働の市場価値に相当するものか否か

 (1)ボランティアの好意に感激して、その活動の市場価値をはるかに越える金品を、謝礼として渡すケースも存在する。しかし、そのようなケースは稀で、特に継続的なサービスについては、まず存在しない。実態として、労働の市場価値に相当する金員が支払われたときは、その労力提供は「労働」として行われたものであり、その金員は「対価」だと推定して差し支えない。
  (2)福祉の分野をみれば、謝礼金を伴うボランティア活動は自然発生的に広がっており、いつの間にか「有償ボランティア」と呼ばれるようになった。実態として、1時間500円程度のものから、1,200円、高額なものでは2,000円と定める団体も存在した。2,000円の活動をボランティアというのは、社会常識として困難であり、実際にも、それだけの金員の支払いを受ける人たちは、プロとしての自覚を持って活動している。
  1,200円となると、「私たちはプロといえる技術を持っており、市場価値としてはもっと高いが、相手の方々のためにあえてボランティアとして活動している」と主張する人たちが多くなる。500円程度の活動は、当時者を含め、活動を知る人たちはすべてボランティア活動であることに疑いを持っていない。
  93年から95年にかけ、謝礼金を伴うボランティア活動に対し指導が行われた際、我がさわやか福祉財団は労働省(当時)と話し合いを行い、その結果95年11月同省職業安定局は、「有償ボランティアの斡旋が職業安定法の『有料職業紹介事業』に該当する基準等について」と題する文書を内部的にまとめた。そこでは、「当該地域における民間の介護または家事援助労働者の賃金の平均的相場または非常勤の公的ヘルパーの時給のいずれか低いものの5分の4」という目安が示された。それ以上なら有給、つまり対価を得る労働となり、それを越えなければ「有償ボランティア」と推定されることとなる。
  この文書は、介護保険制度の発足が決まったので、それにより有償ボランティアの実態が変わる可能性があるということで発出が見合わされたが、謝礼金の実態は、同制度発足後も大きな変化はないので、現在でも妥当性があると考えている。
  一方、我がさわやか福祉財団は、理論的にも実態からしても、最低賃金以下の金員の支払いは、ボランティアに対する謝礼であるとみなすのが相当として、指導を続けてきている。
  最低賃金を数百円越える程度の額を定めている団体であっても、その多くはボランティアという意識と精神でサービスを提供している。サービスを求められるのが不定期で、活動時間も週2、3回、1回数時間という人たちが大多数という実態からすれば、これを「職業」とか「労働」というのは、常識的には無理がある。
  ただ、いちいち当事者の主観を調査して両者を区別するのは非現実的であるので、法令によって認定基準を定めるのが取締基準を安定させ、現場の混乱を避けるために必要であると考える。
  (3)公共の分野についても、同じことがいえる。
  そもそも公共の分野と民間の分野で労働の定義が異なるというのは、おかしい。
  公共の分野では、給与の基準が定められるから、労働の市場価値は認定しやすい。
  ここでも、市場価値の5分の4を越えない程度という認定基準が相当ではなかろうか。
  ただし、認定基準は許容される最高値であって、謝礼金として妥当な額とは異なる。妥当な額は、サービスの内容や住民の意識などを総合して、謝礼金負担者(地方自治体など)が決めることとなる。

4  推定要素U―営利目的事業か否か

 (1)ここまでは、NPOその他の非営利事業者と公共団体を念頭に置きながら、議論を進めてきた。ボランティアが係わるのはそれらの団体だからである。
  ところが、営利事業者が、自らあるいはNPOなどの組織を設立して、実は営利目的であるのに公共性の高い事業であるかのように偽装し、公共性を理由に謝礼金を伴うボランティアとして労働を行わせたり、賃金を最低賃金以下にしたりすることがある。労力提供と引き換えに金員が支払われ、それが市場価値より安いケースには、本来「労働の対価」として支払われるべきものを不当に市場価値以下のものとした、悪質なものが存在するのである。
  このような脱法行為を防止するため、従来は「対価」の解釈を広げてきたのであるが、それが時代の変化により不当な規制を招くようになったことは、前述した。
  といって、脱法行為は放置できない。
  (2)そこで、労働と謝礼金を伴うボランティアを区別する推定要素として、「営利を目的とする事業にボランティアが従事することはない」という認定ルールを確立することである。つまり、営利を目的とする事業のための労力提供は、労働と推定するということである。
  実態として、他者の利潤追求に協力するボランティアはいない。いるケースは、その他者と特別な関係にあるか、その活動が自分の利益となる場合であり、それはボランティアではない。子どもが親の商売を手伝うのは前者のケース、労働組合員が会社再建のため給与返上で働くのは後者のケースである。ボランティアは、営利事業が満たすことのできないニーズを満たすことを動機としてその活動を行うのであって、他者の利潤追求に報酬を得ないで協力する気持ちになれる人は、一般にはいない。
  したがって、営利事業あるいは形式的には非営利団体の事業がその実質は営利を目的とする事業に従事する職員に対し、謝礼金の名のもとに最低賃金以下の金員が支払われている場合は、最低賃金法その他の労働関係法令を適用すべきである。
  認定が難しいのは、非営利団体が非営利を仮装して実質営利事業を行っている場合である。実際には、監督官庁によって法人格の取消しその他の行政処分が行われることによって解決されるであろうが、ボランティアも、騙されたと分かれば正当な賃金の支払いを請求すべきであろう。
  (3)本項で述べた推定が働かない例外事情は、当然存在する。
  例えば、災害復旧など、営利目的事業でも公共性の高い事情である。ある建設関係業者が特定の災害復旧工事を請負っているとしても、一刻も早い復旧を望む人々のためにボランティアが工事に直接または間接に協力するのは、自然の情である。近時公共事業をPFIで営利事業者に委託する事例が増えているが、状況によりボランティアがこれらの事業に協力することは、その公共性からして十分ありうることであり、その際何がしかの謝礼金が支払われたとしても、法令違反に問うのは相当でない。
  若者が体験として牧畜・農業を手伝ったり、学生・留学生などが研修のため特定の企業で働くことがある。労力提供の実態が労働であれば賃金を支払うべきであるが、経営上必ずしもその者の労力を必要としないのに、その者のために研修の機会を与え、研修指導も行っているような場合には、労力提供のプラスと研修協力のマイナスとを差し引きする程度の額を謝礼金として支払うことを認めるべきであろう。
  企業OBが、定年後の生活の生きがいのために企業で働く場合にも、同じような問題が生じるであろう。その人物の雇用が経営上必ずしもベストだとはいえず、生きがいのための機会提供という要素を持つときは、正当な賃金以下の額を謝礼金(スタイペンド)として支払う形態が認められてよいであろう。
  ただし、いずれの場合も営利のため脱法的に運用されることのないよう特段の留意が必要である。

5  推定要素V―使用従属関係の有無

 (1)従来判例は、労働者か否かの認定に当たり、使用従属関係にあるか否かを基準としてきた。抽象的には当然の基準であって、対価を得て労力を提供するのであるから、その労力提供は対価支払者(使用者)の意思に従って行わなければならないということである。その関係の中核をなすのが、業務遂行についての指揮監督関係である。
  一方ボランティアは、任意に労力を提供するのであるから、使用者はおらず、人に従属し、その指揮監督を受けることはないという形式論もいえないことはない。
  しかし、この基準は、相当程度実態にそぐわないものになっている。
  まず「労働者」であるが、近年はその職務遂行に自発性を高めるため、裁量の幅を広める傾向にある。研究職になると、勤務時間や場所の拘束もはずし、成果の報告義務だけという研究所もある。
  一方、ボランティア活動も社会の複雑化に対応して組織的に行われるものがむしろ一般的な形になってきている。そこでは、所属団体に活動の統括者がいて、業務の遂行に当たってはこの統括者が(言葉の使い方は丁寧なことが多いとしても)指揮監督を行うのが通例である。
  判例は細かい認定要素も挙げる(注2)が、それらは費用の負担関係を除けば、いずれも、業務を組織的に行う以上は一般に必要とされる要素であるに過ぎない。
  したがって、判例の蓄積があるからといって、この認定要素を重視することは、事態の変化、流動の激しい現状に合致しない判断を招くおそれがある。
  (2)とはいえ、対価を得る以上、労働者は使用者の意思に従って働く義務が生じるのであって、そこが、謝礼金を得るとしても対価は得ないボランティアとの差であることは間違いない。
  このような差異からすれば、一般的にいって、労働者はボランティアよりも組織による拘束力を強く受ける傾向が生じる。使用者の権限は、ボランティア活動統括者の権限よりも強いからである。
  そこで、実際上有用な推定要素は、「組織は、労力提供者の気持ちにかかわらず、業務に関する命令をする権限を持つと認識しているか」ということであろう。たとえば転勤・転属命令、残業命令などである。ボランティアの場合は、その必要があっても、これらは相手にお願いして同意してやってもらう以外に方法がない。当事者がそのように認識しているかどうかが、対価の支払いによる拘束力を認識しているかどうかを表すであろう。
  (3)業務の遂行に当たり、使用従属関係あるいは指揮監督関係に立つボランティア活動は多い。そして、そういう関係が強くなると、その心理的負担に対して弁償する気持ちになるのか、なんらかの謝礼金を支払う傾向がある。
  ここに、労働と謝礼金を伴うボランティア活動が実態上連続していることが表れている。
  ところで人間は、本性として自由を好み、他人に従属してその指揮監督に服することは好まない。したがって、組織の指揮監督に服してもボランティア活動をしようとする者には、それなりの動機があるはずである。拘束性が強いほど、ほかの動機も強いという関係に立つ。金員を得ること以外の動機が一般的に考えられない業務について、その拘束性が強いにもかかわらずボランティアとして人を使っているとすれば、その労力提供は、金員が目的としか考えられないことになる。とすると、その金員が「謝礼金」とされていても、実は賃金を対価として支払わなければならない場合であるといえる。そういう謝礼金を伴うボランティアは、不適切なものとして排除する必要がある。
  たとえば地方自治体がその業務の一部をボランティアに委ねる場合、その業務が市民生活の基礎となるものであって拘束性が強いときは、よほどその自治体の財政が悪化していて市民の援助を得なければ最低限度のサービスも提供できないような、特別な事情が存在することが必要である。その業務が市民生活からすれば付加的、部分的であって業務遂行の裁量の幅が広いときは、謝礼金を伴うボランティアに適する。
  福祉施設における補助的あるいは一時的業務を謝礼金を伴うボランティアでカバーするのは、もともと福祉施設が営利を目的とせず、入所者の福祉のために行うものであるという特別な事情があるところからである。もともと謝礼金なしで行われているボランティアの分野だから、これに謝礼金を付しても問題はないが、これの付く人と付かない人が生じるときは、その区分につき両方が納得する事情があることが望ましい。
  福祉移送や芸術鑑賞などのボランティアは、実費程度の謝礼金(受益者負担金)を徴収する例が多い。これらの活動がボランティアとして成り立つのは、活動の性質からくるのでなく、対象とする人の特徴(市場価格を支払うのは難しいが、ニーズはある人)に由来する。そういう人に人間らしい生き方をしてほしいというのが、拘束性の強い組織活動をボランティアとして行う特別な事情である。
  実態として使用従属関係があってもボランティアと認められるいくつかの例を挙げたが、使用従属関係ではないものの社会的・組織的拘束性が強い職種にも、ボランティアに適するものがある。議員、自治体の長、非営利団体の長などの名誉職である。実際に多忙な仕事をこなしていても、その組織活動の公共性を動機として賃金を受領しないことは、社会的にも好ましいことである。

6  3つの推定要素の関係

(1)基本的には、その労力提供が労働か謝礼金を伴うボランティア活動かは、当事者の意思で決まる。
  そして、労力提供に関連して支払われる金員がある場合には、それが労力提供に対する対価(対償、報酬)として支払われたとき、その労力提供は労働であり、謝礼として支払われたとき、それはボランティア活動である。
  本稿で述べた3つの推定要素、つまり
T.支払われる金員がその労働の市場価値に相当するものかどうか
  U.営利目的事業かどうか
  V.使用従属関係の有無
は、いずれも当事者の意思を推定するための間接事実である。
  このうち、TとUはかなり強力な推定を持つのに対し、Vは例外事情が少なくない。
  (2)労働か謝礼金を伴うボランティアかの区別は、当事者の意思で決まるところから、当事者の意思を表す書面が、最も有力な証拠となる。
  正規の労働については、一般に雇用契約書が作成されるから、認定は容易である。
  ところが、ボランティアについては、それが謝礼金を伴うものであっても必ずしも契約書を交わす慣習は確立していない。アルバイトその他の非正規雇用や一時的雇用についても、不十分である。
  そこで、賃金を支払うべき労働に対し、これに代えて脱法的に謝礼金(市場価値に満たない対償)が支払われたり、労力提供者の真意も労力提供の内容からも労働であるのに、組織からはボランティアと扱われて謝礼金しか支払われなかったりする実態を是正するのが困難になっている。
  争いが生じてから、本稿の3推定要素を活用して解決を図るよりも、労力提供を開始する時、当事者の意思を明確にする書面を作成する慣習を確立する方がより有効である。
  問題事案が発生するのは、規模の大きくない事業において、労働者として雇うように期待させて、謝礼金程度の金員しか払わないようなケースだからである。

7  まとめ―ボランティア認知法の提言

 (1)日本の法律は、アメリカなどと異なり、ボランティアを認知していないために、このような謝礼金(実費負担金を含む。)について、すべてこれを労働の対償(労働基準法11条)あるいはサービスの対価(報酬)として扱う構成になっている。事実認定として対価関係にないとされるものは、きわめて特殊か、限定的である。
  そのため、労働の対償を得ていないボランティア活動が労働基準法をはじめとする労働関係法令違反で調査の対象とされたり、費用の実費負担はあるもののサービス自体は無償のボランティア活動として提供しているのに、各種職業規制の関係法令による取締りの対象とされたり、あるいは法人税法上収益事業と認定されたりしている。これらの所為がボランティア活動の発展を阻害することは、いうまでもない。
  よって、謝礼金を伴うボランティアと労働との区別を法令上明確にし、ボランティア活動の活性化を図る必要がある。
  (2)立法の内容として選択肢はいくつか考えられる。もっとも詳細なものとしては、各種の労働・職業・税制に関する法令ごとに労働・職業から謝礼金を伴うボランティア活動を除いていくことであるが、これは煩瑣に過ぎる。
  そこで、謝礼金を伴うボランティア活動の一般的解釈規定を設け(たとえば、「サービスに対して提供された金品の価格が当該サービスの市場価格の5分の4を越えないときは、当該金品は謝礼として提供されたものと推定する」など)、各法における対価や有償性などの解釈にはこの法律を適用するという立法が考えられる。
  それも困難な時は、精神規定を置くだけでもよい。
  法令が社会の進歩を妨げないよう、立法関係者が動くべき時であろう。

(注1)
最高裁HPトップページ→裁判例情報「東京高等裁判所判決平成16.11.17/平成16年(行コ)第166号」「千葉地方裁判所判決平成14年(行ウ)第32号
これらの判決は、ボランティア団体(NPO法人流山ユー・アイ ネット)のボランティア仲介事業を、人材派遣の「請負業」(法人税法施行令第5条1項10号)に当たると認定し、事業による剰余金に法人税を課税することを容認した。ただ、いずれの判決も、その活動がボランティアとして行われていることは認めている。ボランティアによる請負業がありうるのかという基本的疑問はあるが、両判決が、活動を素直にボランティア活動と認めたことは評価できる。
(注2)
論理的ではないが、裁判例では、次のような要素が「使用従属関係」の有無の判断として用いられている。
@業務遂行上の指揮監督関係の有無・程度
A報酬の性格と額
B具体的な仕事の依頼、業務指示等に対する諾否の自由の有無
C時間的拘束性および場所的拘束性の有無・程度
D労務提供の代替性の有無
E業務用の機器の負担の有無
F専属性の程度
G服務規律の有無
H公租などの公的負担の有無
(衆議院調査局編修・発行 「論究」第4号 寄稿論文−2007年12月発行)
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