更新日:2011年6月1日 |
地域包括ケアの町 |
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阪神淡路大震災の時も中越地震の時も、復興は、原則として、元のまちに戻ることであった。
東日本大震災の復興は、違う。
「津波で流されたところには戻りたくない」と、多くの被災者たちが言っている。しかし、元住んでいたところのなるべく近くに戻りたい。
そうなると、少し高い山際の地を拓いて、新しいまちをつくることになる。それがどんなまちになり、自分の家はどうなるのか。
それが見えないから、被災者たちは、どう生きていくのかわからない、大きな不安を抱えて、避難所や仮設住宅で暮らしている。
私は、産業の復興はそれぞれのまちが決めることとして、子育てや福祉など、まちづくりの基本となる共通の問題については、日本全体が「地域包括ケア」「社会全体による子育て」「地域医療」を目指すのであるから、まちの復興は、それらを先取りして実現することが大切だと考えている。まち全体が壊されたという大きな不幸は、いちから何でも創れるというチャンスでもある。それを生かし、日本最高のまちを創るのである。
そこで、そういう考えを共有する5人の方と相談して「地域包括ケアの町への復興応援団」をつくった。高齢社会をよくする女性の会の樋口恵子さん、東大教授(元厚労省次官)の辻哲夫さん、福祉自治体ユニットの菅原弘子さん、長岡の先駆者小山剛さん、神奈川の施設長小川泰子さんである。
「地域包括ケアの町」と題する提言書は、こう書き出している。
「東日本大震災で壊れたまち(コミュニティー)を復興するに当たっては、誰もが自宅で最後まで安心して、いきいきと暮らせるまちをつくることを目指してほしいと私たちは願っています。それが、地域包括ケアのあるまちです。」
そして、子どものこと、仕事のこと、人と人との絆のことを書き、高齢者については、次のように提言している。
「そのまちでは、年老いて一人暮らしとなり、自分で食事ができなくなっても、外から、医師や看護師、ヘルパーなどが必要な時に家を訪問してくれるから、最後まで一人暮らしができます。食事も三食、届きます。ご近所の方やボランティアが訪ねてくれますから、淋しくありません。」
そのイメージ図には、外部からいろいろなサービスが届く、平屋建ての高齢者住宅がまちの中央部にあり、そのすぐ近くにヘルパー、看護師らのサービスステーションや配食センターがあるが、建設にお金のかかる施設はない。
厚労省は4月に、仮設住宅の近くにサポート拠点をつくり、ここからいろいろなサービスを仮設住宅や自宅に住む高齢者などに届けることを提案しているが、これはまさに「地域包括ケア」である。ケアを必要とする高齢者が仮設住宅で暮らせるようにするには、これ以外にない。そして、このサービスをそのまま新しく創るまちに移していけば「地域包括ケアの町」が実現する。
私たちの提言は、細川厚労大臣が受け止め、5月19日の社会保障改革に関する集中検討会議の場で提唱した。菅総理は、会議の締めの言葉で、私たちの提言を取り上げ、テレビカメラにイメージ図を示しながら、「被災にあったまちが、このような形で復興し、それが、日本全国に広がっていったらいいと思う」と述べた。
このイメージ図は、先に、宮城県庁の担当者らや大船渡市長や登米市長に見せて共感を得ており、また、いくつもの避難所で被災者のリーダーや、避難所の被災者に説明して、「これはいい」と賛同を得ている。みなさん、住みやすいまちに復興したいという熱い気持ちを持っておられる。
仲間たちと、精力的に被災者の夢を引き出し、形にしていきたい。 |
(電気新聞「ウェーブ」2011年5月30日掲載) |
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