私の自我のめざめは、初恋とともに始まった。
中学2年の秋から3年にかけて、教師や父親が急に醜く見え、初恋の人はこのうえなく清らかで美しく見えた。敗戦から数年しか経っていない社会は矛盾と暴力に満ち、正義は通らず、力なき者は虐げられて貧しく、若者たちは空腹に耐えかねていた。
このような社会の中で、何をたよりに生きていけばいいのか。私たちは、生きていかなければならないのか。何のために?
思春期の若者が越えなければならない疑問の壁を、越え切れない日々が続いた。
悪意が溢れているように見える社会に、自分は順応できそうにない。自分を曲げて妥協する器用さは持っていないし、持ちたくもない。小説を書いて社会を告発することはできるかもしれないが、小説家になるような能力を授かっているだろうか。洋の東西の大作を読むと、その壮大さに打ちのめされるだけである。そして、初恋が教えてくれた自分の卑小さ。女神のように完壁な彼女に比べて、何と自分の至らぬこと。私は、劣等感の塊となって、底知れない不安の中であがいていた。ホッタツトムよ、お前は一体何者なのだ。お前には何ができるのだ。何故そこに居るのだ。
自分を見つめることを知った私を、一歩押し進めてくれたのは、失恋であった。彼女に振られたのではない。ある時、それまでもてあましていた激しい恋の嵐が、またたく間に消え去ったのである。中学3年であった。
初恋の人と毎日毎日語り合ったのが、その原因である。心に浮かぶよしなしごとのすべてを熱にうかされたように語り合ううち、私は、彼女が女神ではなく、美しく、頭がよいとしても、知識に欠けるところもあれば俗なところもある普通の人だという事実を、突然明瞭に認識したのである。
私は落胆し、唯一の希望を失った。といって自分に対する劣等感は回復せず、人間全体に対する失望感にとらわれた。その分、人間の現実を直視できるようになり、文学作品に対する理解力は深まったし、社会の不正義の背景にある人間の醜さを認識できるようになったのは進歩であったが、根っこにある自己に対する不安感と人間に対する不信感は、むしろ強まるばかりであった。
そういう不安定な精神を抱えていた高校1年で出合ったのが、キルケゴールの『死にいたる病』である。
どのようにして出合ったかは覚えていないが、その頃北欧系の作品や音楽に魅せられていたから、何かの解説の中で出合い、題名にひかれて読んだのかもしれない。
絶望は死にいたる病である」。このキャッチフレーズは、実に新鮮であった。私は、死にいたる病にとらわれている!そう思うと、不思議なことに、どん底に自分の居場所が見つかったような気がした。
そして、キルケゴールが、あこがれ、恋して得た婚約者レギーネに対し、その内面に失望し、なお愛していながらも突如婚約解消を告げた行動に、共鳴した。社会的には非難されても、誠実に生きればこうなるのではないかと思った。
はじめから共感を持って読んだ『死にいたる病』は、わからないところだらけながら、救いの書となった。信仰に関する核心部分の考え方や主張には終始否定的であったから、およそ彼の思想や信条を理解したことにはならないのであるが、自己を中心に据えて、そのさまざまな絶望を論じる際の記述に、心打たれるものが多かったのである。
私に安心をくれたのは、世の中の大人たちにもこんなに絶望している人が多いということであった。「平和と調和と喜びそのものにほかならぬうら若い女性でさえが、やはり絶望なのである」。なれば、私が失恋して希望を失うのも当然ではないか。
しかも、絶望を意識していない人は、それゆえに絶望であるという。この社会の厳しさにもかかわらず、悩みもなく生きているように見える大人たちは、実は悩んでいる私よりさらに絶望的な存在なのだ、と私は勝手な解釈をして、気が楽になると共に、何となくそういう人間に親しみを覚えた。「死にいたる病」というのは、比喩的な表現であることもわかった。 神は絶望の対極にあるというキルケゴールの主張は理解できなかったが、人が自己という存在との関係で絶望にとらわれるという事実については、説得力があった。そして、自己とは絶望する存在だという指摘が、皮肉にも、絶望を意識している魂に安らぎを与えたのである。
引きこもりの青年あるいは引きこもりの誘惑と闘っている青年も、あるいは私と同じようにこの書によって救われるかもしれない。
(注)引用は、桝田啓三郎訳『死にいたる病・現代の批判』2003年中央公論新社刊による。
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