更新日:2006年3月15日 |
自分を信じる
|
|
厳しい世の中を生きていくコツは、「自分を大切にする」ということにつきると思います。
京都にある在日韓国人のための高齢者用施設を訪ねて、お話を聞きました。在日韓国人の中には、戦争中やその前に日本に連れて来られ、ひどい労働をさせられ、人間としてすら扱われないむごい差別を受けた人たちもたくさんいます。教育を受けられず、日本語もハングルも読めないまま年を取り、施設で世話になる身になりました。だからはじめのうちは、「自分など生きていても人さまに迷惑をかけるばっかりで、早くお迎えが来て欲しい(死にたい)」とそればかり言って、暗くうち沈み、人と話もせず身を縮めていました。
しかし、日本人や朝鮮半島出身の人たちのボランティアがたくさん施設を訪れ、若い人たちも年を取った人たちも、過去の話を聞きたがります。先に施設に入っている高齢者は、差別されてきた過去のことを話します。恨みをこめず、あったとおりを淡々と話すのです。それを聞いているうち、身を縮めた新しい入所者も、少しずつ心の中に秘めていた過去を話すようになります。
子どもたちや若者は、素直に驚き、ストレートな質問をします。それに答えるうち、相手と心が通じる。そのような月日を経て、「まだ自分の話を聞いてくれる人がいるのだ。自分のような者でも、人々に歴史や日韓の関係をわかってもらうのに役立つのだ」と自覚するようになるそうです。
そうなると、身をしゃんとのばし、明るく施設の職員や仲間とも話し、歌や踊りにも参加するなど、変身するのだそうです。やっぱり、いくつになっても、自分が人に役立っているという自覚が必要で、それがあると、自分を大切にする気持ちが生まれるようです。
実際、日本人の超高齢者でも、自分を大切にしている人は、たくさんいます。寝たきりで、手も動かせない92歳のおばあさんで、口にくわえるマウスを使ってパソコンに自作の短歌を入力し、全国の仲間に送っている人もいましたし、96歳のおじいさんで、癌であと6カ月と宣告され、ホスピス病棟に入りながら、部屋に生徒さんを呼んで、墨絵を教えている人もいました。おふたりとも、仲間に囲まれ、安らかな最期だったと聞きました。
お年寄りでもそうですから、身体も自由でしたいことができる若者が自分を大切にしないのでは、こんなにもったいないことはありません。
「ぼくなんか、大したことは何もできないよ」とか、「頑張ってもしようがないじゃん、どうせ受け入れてくれないんだから」とか、「楽しいって思えることがないんだもん」とか、挑戦することを諦めたような声が聞こえますし、そういうことすら言わず、黙って暗く、日々流されるような生活をしている若者もいます。そういう人たちは、自分を大切にせず、自分のその時々の刹那(せつな)的な欲求だけに従って行動します。そして、いつも空(むな)しい気持ちをかかえています。
自分を大切にするとは、自分の能力や向上意欲を肯定し、それを社会に生かし、人から認められ、感謝され、そのことによって社会における自分の居場所を固めていくということです。それが、いきいきと人生を楽しむ原動力になるのです。
誰だって、能力と意欲を授かっています。それが生命(いのち)の特徴です。これまでの人間関係から、それを否定してしまって、虚無的になっている人もいますが、それは自然に反します。これまでにあなたの能力や意欲を否定した人は、全部間違っているのです。
疑いもなく、あなたは大切な人です。
毎朝、鏡の中の自分に向かって「あなたは大切な人」と口に出して言ってみましょう。そこから次第に、輝く人生が開けてきます。自分を信じましょう。 |
(「自己表現」2006年3月号掲載) |
|