更新日:2006年6月13日 |
寄る辺なきいのち
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死刑囚は、いよいよ絞首台が落ちるいまわの際、「お母さ〜ん」と叫ぶという。
もちろんすべての死刑囚がそうだということではないが、そう叫ぶ囚人が少なくないから、そういう言い伝えができたのであろう。
戦場で死ぬ兵隊さんたちについても、同じことが、すでに戦時中から言われていた。「天皇陛下、万歳!」と叫ぶべきだというのが建て前であった。しかし、魂のきわまる瞬間、人は魂が帰り、安らぐべき母の懐を求めるのであろう。
まだ息子たちが幼かったころ、よく妻にぼやかれたものである。
「パパはずるいよ。子どもたちは、元気な時はパパにまとわりついて、少しも私のところに来ないのに、体調が悪くなると私ばっかり呼ぶのだから」
子どもたちは、そのようにして母をいのちの寄る辺と思い定めていくのかもしれない。
しかし、母を幼くして失った子どもたちは、何を寄る辺にすればよいのであろうか。
大石芳野さんの写真集『子ども 戦世(いくさよ)のなかで』(藤原書店、2005年)には、戦さのために親や自分の手足を失った世界の子どもたちが、登場する。彼女が真っ直ぐとらえた何人かの子どもたちの眼は、深い絶望に沈んでいる。叫んで救いを求める対象を失ってしまった魂は、何を叫べばよいのか。その表情自体が、生きているわれわれすべてに対して、戦さのむごさを訴える叫びとなっている。
写真集の中には、ほほ笑みを浮かべる孤児もいる。しかし、私は、ルネ・クレマン監督の『禁じられた遊び』のポーレットを思い出す。両親を戦争で失ったものの、束の間ミシェルと遊ぶ彼女には、ほほ笑みもあった。しかし、そのミシェルと引き離される時の「ミシェール」と響く悲痛な叫びこそが、彼女のいのちの叫びなのだと思う。 |
(藤原書店『機』2006.3. No.169リレー連載「いのちの叫び」掲載) |
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