更新日:2007年10月24日 |
後期高齢者
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私も、来年は後期高齢者になる。
65歳で高齢者の仲間入りをしたころ、確かに体力が落ちた。そして、今年に入ってからもう一段落ちている。だから、私自身は後期高齢者と呼ばれるのも、納得している。
ゴルフ場で、仲間が歩調を合わせてゆっくり歩いてくれると、「ありがたい」と思う。少し前なら、意地を張ってでも遅れないように歩いたものだが、後期高齢者の域に近づくと、素直に感謝するようになった。
同じ年ごろの仲間を見渡すと、さまざまである。個人によって生き方に大きな違いが出るのが、後期高齢者の特徴であろう。
身体の衰え具合も千差万別で、ぜい肉がつき過ぎて2人がかりでかかえないと立てない同級生もいるが、口の方は達者なもので、料理屋のママを昔ながらのせりふで口説くから、周りの者は恥ずかしくていたたまれない。やつが仲間の予測に反してなかなかくたばらないのは、あの旺盛な異性への関心のおかげとしか思えない。ただ、むっつりと黙り込んで、話を聞いているのかいないのか、それも分からない同級生よりは、まだ明るくてよい。
仲間うちで話がはずむのは、病気の話である。自分もけっこう病気持ちのくせに、人が病気になるのが大好き(?)で、私が7年前に狭心症になった話を、何回も聞きたがるのには往生する。「今はまったく問題ない」というと、露骨にがっかりした表情をするのもいるから、「男の友情とは何なのだ」という深刻な疑問を覚えたりする。
仲間たちと交流しながら私が発見したルールは、何でもいいから「役割を持っているやつは元気だ」ということである。そういう高齢者は、好奇心も強く、目に張りがある。話も、面白い。身体は多少ガタガタしていても、気力で間に合わせている。
本人も家族もハッピーで、医療費の方もさほどかからないのだろうから、いうことはない。
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京都新聞コラム「暖流」2008年5月25日掲載 |
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