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提言 生き方・その他
更新日:2010年4月22日

阪神・淡路大震災から学んだもの〜震災時からの取り組みと教訓、伝えたいこと

残された課題
  救援活動に参加したボランティアの経験に基づいて、阪神・淡路大震災後の状況を、新潟県中越地震のそれと比較しながら、残された課題を探っていきたい。

<救援活動の最優先事項>
  大震災が発生すると、一挙に混乱が起きる。
  その中で、より有効に救援活動を行うために重要なことは、「今、何が最も重要なニーズか」を、社会全体で認識することである。
  たとえば避難所で寒さに震えるお年寄りの映像が出ると、どっと防寒具が送られてくる。それが行きわたって不要な状態になっても、なお大量に届く。ニーズは日々変わっていくのであって、その情報がしっかり伝えられるよう、コーディネーター役の救援者は情報発信する必要がある。
  ニーズの観点から、大震災後の救援期間を大まかに3つに分けると、震災発生直後から5日ほどの間は、生命救出期である。この間は、生命を救い出すことが最重要課題となる。その後の2カ月から3カ月くらいの間は、生命維持期である。阪神・淡路大震災の経験でいえば、4月頃までであって、この間は何十万から百数十万のボランティアが全国から集まり、活躍していたが、生活の目途が立つと、潮が引くように引き上げていった。その後の数年は、生活再建期である。被災者が日常の生活に戻るまで、精神的な支援、交流を含め、サポートが必要である。
 
<生命救出期>
  救出は一刻を争うが、近所の人々がどれだけ救出活動を行うかが決め手になる。そのためには、平素から近隣地域における日常生活上の助け合いが行われ、絆が結ばれていることが前提になる。NALC(ニッポン・アクティブライフ・クラブ)が行っているような活動が、全国どの地域においても行われるよう、みんなで頑張らなければならない。
  より望ましいのは、全員が、近隣の人々で非常時救援を必要とする人々のマップを持っていることである。この点で推奨したいのは、京都市の春日学区の方々が作成、所持しているマップである。地区の方々が自発的に、自らの手で作成しているのが特徴である。行政が作成、配布したものと違い、住民の相互救援の意識が先行しているところが素晴らしい。
  マップに関していえば、個人情報保護法がマップ作成の大きな障害になっている。生命の救済、維持活動のために用いる情報は、使途を限定したうえで、本人の同意の有無を問わず、関係者に出せるよう、法改正を急がなければならない。
  生命救出は、行政のもっとも重要な責務であるが、危機管理に関する国の法整備が出来ていない。
  阪神・淡路大震災では、救援にかけつけてくれた外国の医師たちに対し、日本の医師免許がないという理由で医療行為を認めなかったり、救援物資を緊急に運んできた船の接岸を、その許可がないというので拒んだり、情けない行政の対応が目立った。私は大震災の後、官邸(村山内閣)で開かれた防災問題懇談会に参加し、「生命を救済するための緊急行為の法理(形式的に法令に違反していても、違法ではない)を適用すべきで、この考え方を全行政に徹底せよ」と主張したが、政府も他の委員も逃げ腰で、かといって緊急救済行為を認める立法をするわけでもなく、いまだに対応策が採られていない。ただ、阪神・淡路大震災の時はかなり遅れた自衛隊の出動要請に関して、自主的派遣が認められ、基準が定められたのは進歩であろう。
 
<生命維持期>
  生命はかろうじて助かっても、ライフラインが断たれ、住宅も崩壊している。
  まずは水であるが、阪神・淡路の時も中越の時も、水と電気の復旧は早かった。公共事業者の責任感を見た思いがする。
  避難所は、学校をはじめ公共の建物が用いられたが、阪神・淡路の時はトイレが少なく、悩みの種だった。中越では、その教訓が生かされていた。中越で住宅火災が少なかったのも、民が阪神・淡路に学んでいたからであろう。
  避難所の過酷な日々は、高齢者にはこたえる。
  阪神・淡路では、さわやか福祉財団は、全国で高齢者支援のボランティア活動をしている仲間と協働して、高齢者の一時預かりを申し出たが、高齢者は、土地を離れるのをためらった。その点中越では、比較的近い地域で活動するボランティア団体、NPOなどが行政と組んで、一時預かりとお世話をしていた。発生当初の混乱の時期、高齢者にもその家族にも優しい対応であった。
  いずれの震災の場合も、お寺の一時預かりがほとんど見受けられなかったのは、残念である。遺体を預かってくれることも大切な役割であるが、生き残った人たちの現世の苦難に救いの手を差しのべてくれないものか。
  非人間的な避難所生活が一週間も続くと、フラストレーションをため込んだ人たち、特に一家の主と言われる男性の大人どうしの衝突が発生し、子どもたちのひんしゅくを買う。彼らに、復旧のための役割を与えることも考えなければならないだろう。
  避難所から仮設住宅への移入期間を短縮する努力が必要であるが、中越では、仮設住宅の整備が早かった。そして、阪神・淡路に学び、同じ地域に住む家族がまとまって住めるように仮設住宅を割り当てた。それが被災した人々の精神安定にもたらす効果はきわめて大きかったと思う。
  食糧、毛布など、生きていくのに最小限度必要な物資の提供は、行政の努力でおおむね順調に行われたように見受けるし、着るものなどの提供は、日本人のボランティア精神に感嘆するほどであった。ただ、阪神・淡路の際は、送る側が慣れていないこともあって、無駄がかなりあったようであるが、中越の際は、これに学び、要る物と要らない物の情報が、折々に伝えられたことにより、かなり改善されたように見受けた。
  救難のマンパワーであるボランティアの参加は、阪神・淡路で目をみはらされた。1995年をボランティア元年だと言う人は、この時の参加ぶりを画期的だと評価しているからであろう。
  全国から無秩序に参加してくるボランティアを、いかに効果的に必要なところへ配置するかは難しい作業なのであるが、社協に頼るのでなく、NPOや社会福祉法人などで平素中間支援の旗振りをしているリーダーたちが全面的に参加して、独創的なコーディネートの役割を果たしたのが大きな効果に結びついた。
  この点は、はじめての体験であったにもかかわらず、中越よりも阪神・淡路の方が無駄が少なかったように思う。中越の場合は、ボランティアを受け入れる土壌がいまひとつ熟成していなかったこともあってか、マッチングにやや物足りなさが残った。それでも、地域の人々、特に子どもたちがボランティアに深い感謝の念を抱いている。
  阪神・淡路の被災者たちが中越をはじめとするその後の災害の救難活動に出向いたことは相互扶助の原点ともいうべき善行である。救援の連鎖が広がることを願っている。
 
<生活再建期>
  生命の維持が確保され、仮設住宅に移り住み、日常の生活を営むことができる状態になると、ボランティアが支援すべき事柄は、かなり減る。そのころにはライフラインも相当程度回復して、地域の食品店、飲食店、日用品販売店などが店を開く。ボランティアは店の自立を妨げないよう、無償提供活動を終結する。
  被害者は、仮設住宅での日常生活を営みながら、平常時の生活に移る準備をする。
  仮設住宅での日常生活には、不便さと心の不安をカバーするため、人とのつながりがきわめて重要である。中越では、それまで住んでいた地域ごとに仮設住宅を割り当てたのが有効であったが、阪神・淡路では、つながりが途絶えた孤独の中で、孤独死や自殺がかなり発生した。警察は発表していないが、相当な数に上ると見られる。震災十ヶ月後の頃から報道され始め、2年目に目立った。それも、働き盛りの男性が多いのが特徴であった。
  緊急時支援のボランティアが去って日常生活支援のボランティアが残り、仮設住宅入居者が支え合うような機会をつくる活動を続けたが、壮年の男性などはあまり姿を現さなかった。中村順子さんのCS神戸が、中高年向けに仕事を開拓し、提供していたのは生活意欲持続に有効であったが、行政が広く就労の機会をあっせん、提供することが重要であろう。
  阪神・淡路では、ボランティア活動をみならって、行政が、仮設住宅に人々が自由に集う部屋を設けたのは有効であったが、中越では、仮設住宅に社会福祉法人の出張所が出来、そこで柔軟なサービスが提供され、人々が集う場となった。鍼灸など男性の参加意欲を刺激するサービスなどもあった。
  阪神・淡路で目を引いたのは、当時の宮城県知事浅野史郎さんが提供したグループホーム型仮設住宅である。入居者が食事をともにできる構造になっており、ここで自然な助け合いが生まれていた。
  生活再建期の支援活動は、震災に関係なく、私たちの日常生活を心豊かで安心できるものにするために、どこでもいつでも展開されていることが望まれる活動である。
  そして、平素からそういう活動が展開されていることが、緊急事態発生時の生命救出の基盤になるということを、もう一度強調しておきたい。
  最後に、阪神・淡路の救出・救援活動には、暴力団や非行少年、風俗営業経営者なども大いに力を発揮した。社会的には否定的評価を受ける人々であるためか、報道はされなかったが、その善行は評価している。

ナルク兵庫連携事業推進委員会・阪神・淡路大震災15周年記念事業

(「一・一七は忘れない」掲載/2010年3月12日掲載)
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