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提言 生き方・その他
更新日:2010年2月26日

「生きがいづくり」が、私の生きがいである

  1991年、わがままを言って検事を辞め、ボランティアを広める活動を始めた。ボランティアを広めることが、生きがいであった。私の呼びかけに共鳴する新しい仲間ができて、「よし、一緒にやりましょう」と言ってくれ、ぐっと握手をする時、胸に湧き上がってくる熱い感動。それは、何にも代えられない生きる力となった。
  57歳にしていち新人の心境で、昼も夜も土曜も日曜も活動に打ち込み、全国を駆け回った。妻は、「検事の時はお国に差し出したと思って諦めてたけど、今度は社会に差し出したと思うしかないわ」と言った。親しい友達は、「ワーカホリックがボランティアホリックになっただけやがな」と評した。毎朝身体の底からエネルギーが突き上げてきて、じっとしておれない状態であった。人のお役に立つということは、こういうことかと思った。
  「おや」と感じたのは、当時Jリーグのチェアマンだった川淵三郎さんが、Jリーグの大きなご寄付をまとめて下さった時の言葉である。それは「私がアメリカで学んだ精神に従って、ご寄付を差し上げるという言い方でなく、寄付させて頂くという言い方をします」という言葉であった。私は常々、ボランティアは、して上げるのでなく、お互いさまの精神でするものだと主張していた。川淵さんも、そういう気持ちで言われたのだと思い、「すごく人の心のわかった謙虚な方だ」と感激した。
  そういう謙虚さを持った方が、日本のリーダーの中にも存在することに、「おや」と思ったのである。
  しかし、それはまだ、私の理解が浅かった。私は、ボランティアも寄付も、人のためにするものだと思っていたし、そういう利他の心(アルトルイズム)が生きがいを生み出すのだと信じていた。
  それが「ちょっと違うかな」と感じるようになったのは、1995年阪神・淡路大震災の時であった。私は、厳冬の日々を避難所で過ごされる高齢者の方々が心配で、仲間たちと現地に入り、そこで全国からリュックをかついで続々とやってくる若者たちに会った。
  「どうしてボランティアする気になったの?」と聞くと、かなりの若者が「え?これ、ボランティアですか?」と聞き返した。彼らには人に奉仕するというような考えはなく、「テレビで被災者たちの姿を見て、自然に足がこちらに向いた」と答えた。
  その時、私は「これは、人の本性だ」と感じた。そして「人は人を助ける遺伝子を持っている」と書いた。
  それから何年経った頃かはっきりしないが、私は、今も変わらない一つの確信を得た。「利他は利己と対立するものでなく、利己の拡大である」というものである。人に役立つから生きがいと元気が生まれるのではなく、人に役立つことによって自分の存在価値が確認できるから、生きがいと元気が生まれるのだということである。その精神構造は、事業経営者でも、サラリーマンでも、発明家でも、学者でも、専業主婦でも、みんな同じなのではなかろうか。決してボランティアの専売特許ではない。もちろん、政治家も、宗教家も、官僚も・・・・そうであってほしい。
  私がそういう考え方をするようになったのは、たくさんの仲間たちの生きざまを見ることができたからである。検事30年、主として悪いことをした人たちを見てきたが、その後の18年、いい人たちにたくさん出会うことができた。
  ボランティアをやっている人たちは、まず例外なく、いきいきとして元気である。
  やっていない人たちでも、何かに打ち込んでいる人たちは、同じようにいきいきとして元気である。ただし、心に曇りのある人は、別である。
  やることのない人は、いきいきとはいかない。寝たきりになっても眼がいきいきとしている人は、何かしらやるか、考えるかしている。寝たきりではないのに眼に光がない人は、自分の存在が肯定できないのであろう。そういう人は、病に弱い。
  今までで一番印象深かったのは、90を過ぎて寝たきりだった老婆である。彼女は手を動かすこともできず、口で動かすマウスでパソコンに自作の短歌を入力し、全国の仲間とネットで交流していた。その眼の力が忘れられない。日野原重明先生や、秋山ちえ子さんや、小山内美江子さんの眼のように、人への愛と自分への充足感に満ちた、深いメッセージを発する眼であった。
  何であってもいい、生きがいを持つことが自分の人生のために大切だと思う。それを持つことができない寂しい人々にそのことを説くのが、私の生きがいである。
  まことに僭越な生きがいだと思うが、私の元気のためである。お許し頂きたい。
(文春スペシャル 2009 冬号掲載)
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