更新日:2009年7月1日 |
半世紀溜まった涙−『禁じられた遊び』
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人があふれる駅の構内で、幼いポーレットが、ひとり、不安いっぱいの表情で、尼さんを待っている。これから孤児院に連れて行かれるのである。
そこへ「ミシェール」と呼ぶ誰かの声。もちろん、彼女が兄以上に慕う農家の少年ミシェルの筈はない。それでも、彼女の眼は、ミシェルを捜す。そのうち、いたたまれなくなり、待てと命ぜられた場所を離れ、「ミシェール」と呼び続けながら、構内の雑踏の中を歩きだす。カメラが遠ざかり、ポーレットの呼び声だけがひびく。
どっと涙が湧き出る。とたんに画面が消え、FINの3文字がそっけなく現れる。
明るくなった映画館の中で、あの時ほど涙を抑えるのに苦労したことはない。まだ戦争の痛みが消えていない昭和20年代、高校の授業を抜け出しては潜り込んでいた京都・祇園にある映画館であった。男は人に涙を見せてはならないという、古い社会の規範が色濃く残っていたのである。だから、この映画は、涙の切なさ以上に、涙をこらえる苦しさで私の脳裏に刻み込まれてしまった。
今回この原稿を頼まれて、私はマネージャーに相談した。
「泣けたシーンというけど、泣いた時はもう映画が終わってたんだよね」。私は、感想まじりにストーリーを話した。
両親と逃げまどうポーレットたちを襲うナチスドイツの戦闘機の憎らしさ。空襲を繰り返すB29の爆音に震えていた防空壕の記憶がよみがえる。両親と子犬を撃ち殺され、子犬をかかえてさまようポーレットのいじらしさ。彼女をとりあえず引き取った農家の人々の心やさしさ、人間くささは、疎開生活の体験に重なる。少年ミシェルと子犬を埋め、その子犬が寂しいだろうと虫やネズミの死骸を近くに埋め、それぞれに十字架を立てる。そのうち、ポーレットは本物の十字架を欲しがるようになり、2人は、十字架を盗み始める。やがて警官が来て、ポーレットは孤児院に送られる。
そこから、映画は駅構内のシーンに移るのであるが、それを話そうとした時、不覚にも、ぐっと目頭が熱くなり、声が詰まってしまった。私はもはや75歳、この映画を見てから半世紀以上経っている。つまり、高校時代に抑え込んだ涙は、半世紀以上にわたって溜まっており、いまだにこのシーンを思うと湧き出てくるのだ。
相談の結果この映画を選び、DVDで確認した。最後のシーンで、溜まった涙を誰はばかることなく流しながら、私の耳は、彼女が「ミシェール。ママン。ミシェール」と、1度だけ小さくママを呼んだのをとらえた。「そうだ、彼女はママを失った心細さに必死に耐え、それをミシェルとの埋葬遊びにまぎらわせていたのだ」。そしてそのミシェルとも引き離されるポーレットのいたましさ、切なさ。それがそのまま戦争のむごさであった。
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(「文藝春秋」SPECIAL 2009季刊夏号 特集[私が泣いた映画]掲載) |
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