更新日:2009年6月13日 |
色紙に書く座右の銘 「夢」
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18年前、私は検事の世界からボランティアの世界へと飛び込んだ。そして、私がはじめて出した本である『再びの生きがい』のあとがきに、
「フォードは、夢を持つ人物をとり立てて、自動車王国を築いた。
自動車王国を築くのに夢がいるなら、心の王国ふれあい社会を築くには、もっと大きな夢が必要であろう」
と書いた。
その頃、夢という言葉を使うのは、何となく気恥ずかしかったことを憶えている。男は、夢とか愛とか、そんな甘い言葉を使うものじゃないというような古い感覚が、まだ世の中に漂っていたのである。
たしかに、「夢見る乙女」とか「夢ものがたり」とか、夢には、何となくたよりないような、ロマンチックな響きがある。しかし、私が座右の銘にしている「夢」は、そこはかとない願望をいうのではない。
こうなってほしいと望み、全身全霊をかけてその実現に挑む目標を「夢」といっている。
夢は大きい方がよい。そして、少しでも若いうちから持つ方がよい。その思いは、強いほどよい。そして、どんな時にも忘れないのがよい。
あなたが持つ夢は、あなたそのものである。大きな夢を持てばあなたは大きく成長し、小さな夢にとどめれば、あなたはそこまでしか成長しない。
ところが、多くの人は、失敗するのをおそれて、大きな夢を持たない。ハードルを下げ、それが自分には分相応だと諦めてしまう。
もちろん、夢がかなうという保証はない。いくら努力してもかなわないことの方が、普通かもしれない。
しかし、大切なのは、夢に向かって挑戦することにある。それが、人を成長させる。挑
戦なくして、成長はないのである。
自分の心の底から湧いてきた夢に向かって全力で挑戦するうち、自分が本当に望んでいるものは何かということが、自然にわかってくるだろう。夢が大きいほど挑戦は苦しい。その苦しさの中で、その夢の価値は何なのか、自分はなぜその夢を追うのかを考え、悩むことになる。
戦前は、「末は博士か大臣か」ともてはやされる秀才がいたが、博士をめざそうと大臣をめざそうと、はたまた武道の高段者をめざそうと、学にはげみ、政治にはげみ、あるいは武道にはげむうち、自分はなぜその学問をやるのか、政治をやるのか、あるいは武道をやるのかを考えざるを得なくなる。そのうち、それにはげみ、自分を成長させ、人に役立つ生き方をすることが自分にとって意味のあることなのだということに気付く。博士や大臣や段位は形に過ぎず、それが表す中身にこそ意義がある。そう悟った時、人は大きく成長し、強い生きる力を得る。
夢には、そういう力があるのである。挑戦をおそれてはならない。
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(日本武道館発行「武道」Vol.510/2009年5月号掲載) |
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