「被災地に暖かさを送る募金デース」
東京の朝の通勤客にマイクで呼びかける。
中年の紳士が立ち止まって、募金箱に小銭を1枚、2枚。
「昼のそば代なんだよなぁ」と言いながら、やがて「エエィ」とばかり、小銭入れを逆さにして全部入れてくれる。
ほとんど素顔の地味な若い女性が一旦通り過ぎ、考え込みながら引き返して来たと思ったら、きっちり3つに折りたたんだ1万円札をポンと入れ、「領収証をお渡しします」と言うこちらの声に応えず、さっと行ってしまう。
「有り金がこれだけなんだよ」とコインを入れて立ち去り、しばらくして現れて、「会社から取って来たよ」と千円札を何枚か入れてくれるサラリーマン。
「東京のサラリーマンも、けっこうボランティアの心があるじゃないの」と、これは、私のうれしい発見。
昨年の6月1日、新橋駅前をスタートして南周りに各駅2週間、名刺両面大作戦(名刺の裏に、関係しているボランティア活動や地域活動を印刷しましょうという運動)を訴える辻立ちを毎朝1時間してきた。9か月余り経った本年3月11日、田端駅まで来た段階で、東日本大震災発生。
さっそく義援金を募る辻立ちに切り替えたところ、反応が違う。
積極的にこちらに寄って来て、寄付して下さる。特に、名刺両面大作戦にはあまり興味を示してくれなかった若い人々が、よく寄付してくれる。名刺両面大作戦にも興味を示してくれていた女性は、募金にも反応がよい。
壮年、老年の男性は「近頃の若い者は」などとよくぼやくが(これは古今東西を問わない現象で、その原因はジェラシーだという説がある)、若者たちの他者を思う心(利他心)は、募金で見る限り、明らかに壮年、老年を超えている。
また、壮年、老年の男性は、「近頃の女性は」とその強さを半ばボヤいてみせるが(これは、近年の日本の現象で、ある意味正しい観察でもある)、どうしてどうして、男性より他者にやさしいことが証明された。
他者にやさしいのは、心にゆとりがあるからであろう。
さて、心にゆとりのないサラリーマンが、いい仕事ができるとは思えないのだが・・・?
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