更新日:2007年12月29日 |
タテワリ |
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福祉の分野にいると、人には福祉に向く人と向かない人がいると思う。
一つのタイプは、自己中(ジコチュー)な人である。誰でも自己中な性向はもちろんあるが、これで全部固まっていて、人の気持ちを思いやるチャンネルが全く出来ていない人は、福祉は無理だろう。自分一人でやれる仕事を探すとよいと思う。
もう一つのタイプは、自己責任、自助の意識がきわめて強い人である。
福祉の政策を決める政治家や官僚、審議会の有識者、学者、評論家などにもたくさんいる。この人たちは、「自分のことは自分でやれ」という教えをしっかり守り、頑張ってきた。人の世話になっている人を見ると、「どうして自分でやれないの?世話になるなら、自分でお金を払いなさい」と思ってしまう。その感覚は、自分や家族が人の世話を受ける立場になるまで、変わらない。
どちらのタイプも、子どもの頃に、人と助け合うことのあたたかさを体験させていれば、福祉の心を身に付けていたと思う。そういう意味で、教育は、福祉の基礎づくりである。
そういう教育が足りないのが私の不満なのであるが、その観点から注目しているのが「タテワリ」である。自宅が近い小学校の高学年と低学年の児童がペアになって、登下校や学校での清掃活動などで高学年が面倒を見、時に勉強を教えたり相談に乗ったりする。きょうだいの少ない少子化時代、子どもたちはこのタテワリによって助け合いのあたたかさを学び、共助の精神を身に付けていく。
この夏、私がNHKのテレビ番組のため課外授業を行ったわが母校洛中小学校の6年生たちも、タテワリのよさをそれぞれに語っていた。
このように教育上効果がきわめて大きい体験学習が、文部科学省の指導と全く関係がないタテワリで行われているのは、皮肉である。 |
(京都新聞コラム「暖流」2007年12月16日掲載) |
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