政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会
更新日:2007年8月29日

被告人の嘘を放認して良いのか

  警察や検察の取り調べで、嘘の自白をさせられたという主張は、日本の刑事裁判では珍しくない。私自身も、検事になって最初の6年間に、15回ほど、任意性の証人に立っている。被告人は、強制ではなく、任意に私に自白したのだということを証言したのである。もちろん私の証言は全部認められている。
  まれなケースであるが、無理な取り調べで、嘘の自白をさせたと認定される事件もある。少し前であるが、鹿児島県の選挙違反事件や、富山県の強姦事件などがマスコミで報じられている。
  そういう事件があると、取り調べのすべてを録画して裁判で提出せよという声が高まる。検察の方は、一部録画することを認めているが、警察は断固反対である。そんなことをしたら自白しなくなって、真犯人が起訴を免れるケースが増えるという。
  私は人権を大切にする検事であったと思うが、取り調べについての警察の言い分は、よくわかる。
  被疑者の中には、最初から素直に犯罪を認める人も沢山いるが、やっているのに否認する人も少なくない。同じ人でも、シッポをしっかり把まえられているかどうか、その罪が重いかどうかなどによって態度が違う。
  取り調べ側の様子をさぐるため、とりあえず否認するような人もいるが、腹をくくって頭から否認する人になると、少々のことでは自白しない。無実の人が虚偽の自白をするくらい厳しい取り調べをしても、まだ自白しない人だって結構いる。勾留期間中に、なんとか決め手になるような証拠が見つかって自白させ、起訴できることが多いが、中には、やっていることは100%間違いないものの、自白せず、「嫌疑不十分」ということで釈放せざるを得ない被疑者もいる。その嘘をくつがえすために、法廷に出せる証拠が、いまひとつ足りないためである。私自身もその経験があるが、これは取り調べる側にとっては何とも口惜しい話である。私も、50年経ってもその無念さが忘れられないでいる。
  誤解をおそれずに言えば、裁判員が驚かないようなやわな調べでは、自白しない真犯人が相当な数存在するということである。インタビューのような、あるいは法廷における質問のような聴き方では、取り調べにならない、したたかな相手が多いのである。
  とはいえ、厳しい調べをすると嘘の自白をする人もいる。私も、1度だけであるが経験がある。その時は、やったにしては供述があいまいで、迎合的であったため、客観的状況を調べていって、嘘だと確認できたのであるが、もし取調官が、真実発見よりも起訴することの方を重視する姿勢であると、自白を得てそのまま起訴してしまうおそれがある。
  犯罪の取り調べには本質的にこのような問題が内在しているので、欧米諸国はそれぞれに対策を講じている。もっとも徹底しているのがアメリカで、捜査官が被疑者を自白させても、証拠にならないこととしている。そのかわり、捜査を行う大陪審や裁判を行う陪審の前で嘘をつけば、偽証罪になる。つまり、黙秘権を行使してただ黙っているだけならよいが、嘘の弁解をすると、被疑者・被告人でも偽証罪になるのである。もとの罪よりも、偽証罪の方が重くなったりするから、日本のように、真犯人が嘘のつき放題で罪を逃れようとするような事態は、まず起きない。
  日本は、戦後アメリカの刑事法を採り入れる際、この基本的な構造を採用しなかった。だから、法廷で被告人は嘘のつき放題となる。これに対抗するため、取調官は自白させることに励まざるを得なくなったのである。
  裁判員制度を採り入れるなら、被告人といえども嘘は偽証罪になる法制に改めるべきであろう。 
(電気新聞「ウェーブ」2007年8月23日掲載)
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