政治・経済・社会
(財)さわやか福祉財団ホームページへ
 
提言 政治・経済・社会
更新日:2007年11月29日

日本が目指す社会

 先日、少年非行に関するパネルに参加した。パネルの締めを司会者の堺屋太一さんが行ったが、その冒頭に彼は、私の方を向いて「今の日本には、その目指すべき将来像についての合意がありませんね」と発言された。
  私は「えっ?」と思ったが、彼はそのまま続けて、「だから、子どもの育て方についても、育てる方の選択を尊重することが大事です」と話された。
  彼の論旨はよく理解できるが、私には、自分の意見が言えなかったフラストレーションが残った。
  私は、日本が目指すべき将来像について、日本人の合意はおぼろげながらできているのではないかと思っている。
  それは、すべての個人が、それぞれ異なるその能力を存分に発揮し、いきいきと生きることのできる日本である。すべての人には、障害者や高齢者を含む。
  そういう社会を目指すことは、憲法が個人主義を社会づくりの基本に据えた時に、必然的に決まったことである。そして、個人主義は、形式的には憲法という国民合意の規範に定められ、実質的には国民それぞれの生き方を内部から規律する規範として、広く定着しつつある。
  個人主義の最大の帰結は、個人がそれぞれ自らの生き方を決めることができることである。これは当たり前のように思えるが、実は有史以来はじめてのことと言えよう。個人主義そのものが有史以来はじめて社会の基盤となる思想として確立されたのである。
  ここでいきなり話が飛ぶが、動物には、オランウータンやコアラ、猫などのように、子育て中の母子を除いては完全に孤立して生きるものと、単位の大小はあるものの群れて生きるものがある。群れて生きる動物は、哺乳類の場合ほとんどが、強弱の差はあるものの、上下の支配関係あるいは序列をつくる。食糧あるいは縄張りを確保するのに、上下関係や序列は効果を発揮する。
  人類も、多くの哺乳類と同様に、群れをつくる動物で、さほど厳格ではないが上下関係や序列をつける性向を持つと見てよい。その方が食糧や縄張りを獲得するのに効率的だからである。封建社会、共産主義社会など、連綿と続いた独裁主義の社会は、個人の自由を制限し、上下の支配関係や序列をつくる社会であった。生存条件が厳しいから、効率的に群れる必然性があったのである。
  物資が豊かになり資本主義、自由主義、個人主義の社会になって身分関係は廃止されるが、経済競争を効率的に勝っていくためには、上下関係と序列による効率的な経済活動が求められる。したがって、経済活動に関連する限度で、上下関係を形成する。そして、その限度で勝者と敗者が生まれ、優劣の関係が生じるのである。
  しかし、経済活動は社会が発展するにつれ多様化し、個別化するのであって、上下のピラミッド関係をつくって多数の人間が一糸乱れず稼動するような活動は不必要になっていく。組織は流れとしてピラミッド型からネットワーク型に移行し、同質の画一的能力よりもそれぞれ特徴を持った能力が柔軟に連携しながらニーズに対応する方が、より効果が大きい社会になっていく。つまり、経済活動においても、上下関係が消え、個々人がそれぞれに異なる能力を最大限に発揮できるようにネットワークを組むことが求められる社会に転換していくのである。動物としての生き方の殻を捨て、個々人すべての幸せを実現しようとする完全な個人主義社会へのパラダイム転換である。
  そしてそれは、少子社会への流れにもぴったり合う。少子社会とは、生まれた子の違いが何であれ、すべての子を幸せにするという覚悟と合意を前提とする社会だからである。
(電気新聞「ウェーブ」2007年11月15日掲載)
バックナンバー   一覧へ
 [日付は更新日]
2007年10月4日 子育ち支援
2007年9月4日 労働法制と非正規雇用
2007年8月29日 被告人の嘘を放認して良いのか
  このページの先頭へ
堀田ドットネット サイトマップ トップページへ