更新日:2008年3月11日 |
人嫌い
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かつて平安女学院短期大学で教えていたこともある東大大学院教授上野千鶴子さんが、「おひとりさまの老後」というベストセラーを書かれた。その中に、「孤独死でなにが悪い」という、例によって威勢のよい発言がある。これに賛成する人も、けっこう多い。
その趣旨は、「死は本来孤独なものである。孤独を恐れるなかれ」ということである。ただ、上野さんに便乗する人が、勢い余って、孤独死は当然で、おせっかいはするなと声高に叫ぶのには、首をかしげる。問題にされているのは、「死ぬ前の状態に誰かが気付いていれば、助かる可能性のある死」と「死んだあと誰にも気付かれずに相当期間放置されているような死」だからである。阪神・淡路大震災の後の仮設住宅では、何週間、何カ月と気付かれない孤独死が問題になった。
国会でも孤独死が問題とされ、いま厚生労働省は、対応策を勉強中であるが、ことは簡単ではない。民生委員や自治会の役員をした人は経験されたと思うが、地域には人に会うのを極端に嫌がる人がいるものである。
「オレがどうしようとオレの勝手じゃ」と怒鳴られては、それ以上突き進めないが、家の中がゴミの山で悪臭、汚液が外へ漏れ出すと、オレの勝手ではすまない。
しかし、人嫌いには人嫌いになる理由があって、たいていの人は大きな挫折体験があり、心に深い傷をかかえているように思う。その傷に触れないようにして心を開かせるには、その人の人格を丸ごと認めるのが王道であろう。子どもや人なつっこいおばあちゃんがガンコ者の思いかげない笑顔を引き出したりするのもそういうことかもしれない。「こちらも困っているんで、助けてほしいのやけど」という言い方も、有効だったりする。
世の中には、寂しい人が多い。あたたかい社会であれば、こんなに人嫌いが増えることはないであろう。 |
(京都新聞コラム「暖流」2008年2月10日掲載) |
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