更新日:2008年3月11日 |
景気と環境と人類の進歩
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景気対策と環境保護とは、基本的に衝突する。
景気対策となると、「もっと消費せよ」というのが大きな柱になるし、環境保護となると、「もっと節約しよう」というのが大きな合言葉になるからである。
両者の折り合いを、どんな考えに基づいて、どうつけるのだろうか。経済学には素人の私ではあるが、人々の生き方に係わるので、提言を試みたい。
まず、両者がぶつかるのは、モノの分野である。エネルギーはモノの分野に属する。
ヒトの分野では、直接的な衝突は生じない。人類が進歩すれば、ヒトに対し直接サービスする産業が隆盛になる。教育、福祉、医療から、各種相談・代理、理容・美容、マッサージに至るまで、ヒトに対するサービス業は、複雑多様になる。また、広い意味で、ヒトに対するサービスに属する情報産業の発展も、すさまじい勢いである。これらの産業は、副次的にエネルギーや設備を使うが、本体のサービスは環境と衝突しない。
だから、ヒトに対するサービス産業が盛んになることは、人類の進歩と満足のためだけでなく、環境保全の視点からも奨励すべきことである。ただ、人はそれなりの食料を必要とするし、衣類や家屋も欲しい。文化生活は、多くのモノやエネルギーを必要とする。
月尾嘉男さんは、「石油は40年、天然ガスは70年、ウランは100年以内に枯渇」などと数字を並べられる。なくなるところは見届けられないが、孫は見届けるのかと思うと、ぞっとする。どげんかせんといかんであろう。
エネルギーについては、太陽熱、風力だけでなく、あらゆる自然エネルギーの活用を考案してほしい。川の流れも、ダムのような巨大な装置を小さなものに工夫し、同じように海の波や降雨まで活用するくらいの智恵は、出ないものであろうか。
景気と環境の衝突を避けるのは、リサイクルである。日本がリサイクルの先端技術を開発し、世界中のゴミを引き受けて、これから魔術のようにいろいろな新製品を生み出せるようになったら、それこそ日本は経済面でも世界最高の国となる時代が来るであろう。
食糧についても、動物性蛋白の摂取は超セレブだけとなりそうな気もするが、昔のお坊さんのように、動物を使わない肉料理を考えることはできるだろう。
それにしても、13億の中国人、11億のインド人などが、やがて経済水準が上昇して今のアメリカ人、日本人のように肉を食べだせば、どうなるか。そう思って肉好きな孫の顔を見ていると、何だか哀れになってくる。
技術開発には限度があるだろうから、ここは節約である。景気を犠牲にしてでも、節約すべき時を迎えていると思う。それには、先進国が範を示すほかない。
先進国と発展途上国が議論しても、けりはつかないだろう。発展途上国の人々が、ぜいたくを経験できない点で、圧倒的に損をするからである。だから、節約は人類を守るための倫理として、世界中に確立するほかないであろう。
広井良典さんの「定常型社会」の提言は画期的であるが、それでも間に合わないと思うのである。
それでは、物を節約する生活は人類の退歩か。
私は、そうは思わない。生存に必要な以上の質量のモノを持っても、人の幸せにろくに役立たず、かえって不幸をもたらすという事実を知ったからである。現に、今の10代から20代前半の若者は、車もブランド物もほしがらなくなっているというではないか。
そして、情報を含め、人へのサービスが豊かに存在し、人と人との交流が心の豊かさを満たしていく社会になれば、そこそこのモノの消費で、人類は十分に進歩し、より大きな幸せを築いていくと信じている。 |
(電気新聞「ウェーブ」2008年2月29日掲載) |
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