政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会
更新日:2010年2月6日
「検察のリーク」は幻

−虚偽記入事件と報道を考える−

  「検察のリーク」はあるのか、ないのか。
  小沢一郎幹事長サイドの政治家などから、リークを非難する声が上がり、民主党の議員がこれを調査する会をつくった。
  確かに日々の報道に接していると、これは捜査している側が洩らさなければ出ない情報だと直感的に思うものが結構ある。
  その種の報道が出ると、出て困るグループの人々は激怒する。怒る人々は、視聴者、読者の全体から見ればごく少数であるが、その一つのグループが容疑者を中心とする事件関係者であり、もう一つが捜査の担当者である。
  なぜ捜査担当者が困るのか。それは、証拠隠滅が行われ、関係者が口裏合わせを行うなど、捜査がやりにくくなり、しばしばつぶれてしまうからである。 
  処罰を免れたいというのは人の強烈な本能であるから、捜査の手が迫ってくると察知すると、やみくもに証拠を隠す行為が行われるのが常である。パソコンの文字などは消されれば終わりであり、そのために容疑者の口を開かせることができなくなる。逮捕状を取れるところまで積み重ねてきた苦労が、最後の段階で無に帰するから、捜査担当者は事件報道を極端に恐れる。「明日捜査か」などの記事が出ただけで捜査を取り止め、寝たふりに入った特捜事件も昔からある。
  これに対し、報道する側は何とか特ダネを取りたいと、全知全能を傾けてくる。
  有能な事件記者は、検事から情報を取ろうなどとは考えない。彼らは、検事や検察事務官の動きをさりげなく観察し、事件の担当を割り出す。動きを追って、事情聴取した参考人を掴み、時には接触して秘密の協力者にしてしまう。
  ロッキード事件の時は、朝日新聞の村上吉男記者が、私たち捜査側も、アメリカでコーチャン社長らを追っている他社の記者たちも全く気付かないうちに同社長に接触し、数カ月かけて彼を落として供述を引き出した。そのいきさつは同社長の「ロッキード売り込み作戦」(朝日新聞社)に松山幸雄アメリカ総局長(当時)が書いているが、捜査する者にはまことにぞっとする話である。
  事件の筋を読み、関係情報を集め、特捜部が動きそうな気配を察すると、さりげなく中身をぶつけてくる。夜まわりに来た記者に「こんなことで記事にします」などと原稿をちらつかされると、われながら顔色が変わっているのがわかる。その後は取引をするか捜査を諦めるか、実に苦しい選択を迫られる。
  検事は、各社の敏腕記者との日夜の丁々発止を乗り切らなければ、事件の真相にたどりつけないのである。
  検事がしゃべらなければ判らないと思われる記事は、記者の努力と能力と運の成果であるが、担当検事も驚く捜査機密が報じられた時は、怒り心頭に発し、報告を上げた上司を疑うこともしばしばある。担当検事は状況がわかっているからそれをもとに部内をひそかに調べたりするが、分かった例はまずない。記者は絶対に教えてくれないし、上司は、仮に顔色を読まれていても気付いていないからである。
  「リーク」は幻である。

(信濃毎日新聞−寄稿 2010年2月2日掲載)

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