更新日:2010年1月30日
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「友愛の国」のイメージ |
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かつてアジアの人々は、日本を「勤勉に働いて戦争の廃墟から立ち直り、経済大国になった国」として評価していたと思う。ところが最近は、「アメリカに追随するばかりでどこへ行きたいのかよくわからない国」といぶかられるようになっているのではなかろうか。
私は、鳩山総理の「友愛」の理念に共鳴しているし、その表れといえる「東アジア共同体」構想もぜひ進めてほしいと思っている。しかし、日本が信頼されていなければ、構想は具体化しないだろう。
経済大国の行く先を示す日本のイメージは、「友愛の国」、つまり、「平和を愛し、人にやさしい国」がいいと思う。日本がそういう志を持ち、そういう世界をめざす国だという強い意思を世界に示すことにより、アジア諸国の信頼を築いていく基礎ができるであろう。
「人にやさしい」というイメージを浸透していく一つの方策としては、技術と経済の力を使うことが考えられる。
発展途上段階にある人々の立場で発想してほしい。
多くの人々が、秋葉原で売っているような電化製品は買えないし、私たちが使っているような自動車には無縁である。
しかし、便利なものは欲しい。それは、戦後日本人が通ってきた道である。おやじに電気洗濯機を買ってもらった時のおふくろの喜びようが忘れられない。
日本の技術をもってすれば、さまざまな段階にある発展途上地域の人々が、貧しくても買い求めることができるような値段で、単純な機能の(つまり、実用に徹した)各種の製品を作ることが可能であろう。
自動車にしても、整備されたコンクリートの道路を快適に走る高性能の先進国向けの自動車ではなく、ガタガタの細い山道を走る車、風雨とほこりに強い頑丈さ一筋の車、身体の不自由な高齢者が一人で買い物に行くのに使える単純な車、雪や氷に強い車などを、安価に提供できれば、どれだけ多くの人が喜ぶことだろう。
どんな製品にせよ、先進国の社会環境と知識のレベルに合わせたものでなく、現に地球上に存在して生活している個別の人々のニーズに合わせた安価な製品を多様に作ることである。
それは、高度化ばかりを追求してきた技術者の眼を、世界のさまざまなレベルの人々の暮らしぶりに向けることによって可能になる。その製品が、それまで満たされていなかった生活の基本的ニーズを満たす時、これを購入した人々の喜びと感謝はどれほど大きいことか。戦後の貧しい生活を体験していない人には想像がつかないであろう。
それだけでなく、そういう製品は、たとえば普通自動車の運転が危ぶまれる高齢者や障害者が使える自動車(ゴルフ場の一人乗りカートに毛の生えたような車を想像されたい)、過疎地でも便利な自動車、あるいは、認知症の人にも安全な電化製品など、日本においても多くの人々の生活の幅を広げるのに役立つであろう。
そして、それらの製品は、エコに徹したものでありたい。ここは技術者の智恵の出しどころである。電気のない地域でも、長時間耐用の電池で長く走れる超小型車など、あっというものを作り出してほしい。
あわせて、自動車に限らず、どの製品も、何がしか日本の文化の香りを持つファッションにしてほしいし、買い主が自分のアイデンティティも付加できるものにしてほしい。もちろん、値段は発展途上国の貧しい人々も購入可能であることが大前提である。
私の経験では、日本の技術者は作れというと出来ないというが、それでも作れというと思いもつかない素晴らしいものを作ってくる人々である。ここは「人にやさしい日本」創出のために、挑戦してほしい。
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(電気新聞「ウェーブ」2010年1月6日掲載)
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