更新日:2010年7月22日
寄附する人とされる人
寄付したい活動は、山ほどある。
アフリカや東南アジアなど発展途上国の、手足がやせ細り、眼ばかり光っている子どもたちの姿を見ると、たまらない。環境も私たちが守らなければならないし、障がい者やよるベのない高齢者にも、温かい心を届けたい。
一途に支援活動に打ち込む方々も応援したい。魅力的な方々に出会うたびに、せめて寄付してわずかでも役立ちたいと切に思う。
しかし、私の財布には、限りがある。小さな財布だから、出したい気持ちの百分の一ほどもない。ビル・ゲイツがうらやましい。
そこで、ぐっと自分を抑えて、大震災の時とか、見過ごしたら夜眠れなくなるというような活動に絞り込んで、出す。出すといっても、わがさわやか福祉財団は別として、それ以外の活動については歯を喰いしばって十万。たいていは「少なくてすみません」と謝りながら一万から三万でご勘弁願っている。
それだけ切ない思いでする寄付も、寄付を受ける側からすれば「有り難いけど、活動費の中のほんの一部」である。職員一人か二人でやっているNPOだって、「小さい」と言われながらも月に百万単位の活動費が要る。
このギャップをどう埋めるのか。
ファンドレイジングの宿題だが、私自身はお金の効用以上に、寄付に込められた応援の気持ちが経済的効果以上の大きな励みをもたらしてくれるものと評価している。寄付の力はお金のそれだけではないのである。
(「ファンドレイジングジャーナル」第4号 巻頭のことば 2010年6月号掲載)
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