T 公益認定2年−混沌の中
公益認定実施から2年。認定は、混沌の中にある。
その原因は複数あるが、もっとも大きな原因は、「公益」の概念が詰められていないことである。詰められないままに公益認定法(「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」の略称)がつくられたため、法の基本設計に歪みがいくつも出ている。それを、何とか運用で正そうとするから、予測不可能な運用になってきている。
会計のルールを、無分別に法の仕組みに持ちこんだことも、混乱を招き、法人に有害無益なエネルギーの浪費を強いる原因となっている。
公益認定の手続については、法律に基づかない行政指導のオンパレードで、これが法による行政かと驚かされる。
公益法人税制の基本設計は、立法の最終段階で、それまでの財務当局の態度からは想像もつかないほどすっきりしたものになったが、それでも租税特別措置法など、周辺の問題をいくつか残している。古い考え方が整理されていないのである。
本稿では、公益活動の隆盛を図るため、実務の視点から問題を概観し、解決策を探る。
U 公益概念の未整理から生じる問題
「公益」が「共益」又は「私益」と、その境界付近において截然と区別できないのは、その性質上、当然のことである。区別するために用いられる「不特定・特定」などの概念が、相対的なものだからである。
ここで問題にするのは、そういった当然の問題ではなく、構造的な問題である。
1 収支相償
(1) 公益は不特定多数の利益と定義されてきているが、これで公益と区別できるのは、共益である。共益は、特定複数の利益である。
私益は、個人の利益であるから、単数あるいは少数の利益かというと、そうではない。
公益社団法人である在宅の介護サービス事業者と、株式会社である在宅の介護サービス事業者を比べてほしい。どちらも行っているサービスは同じ類型であり、受益者は、不特定多数の者である。両者が異なるのは、公益法人は利益を分配しないのに対し、株式会社は利益を株主に分配するという点である。
公益の定義に言う不特定多数の利益とは、活動の受益者の利益を言っているのであって、活動者や活動の資金を拠出する者は、単数であっても構わない。
同じ視点から営利法人(私益を追求する法人)である株式会社を見れば、公益法人と同様に活動の受益者(顧客)は不特定多数である。つまり、受益者の数によって公益と私益を区別することはできない。念のため、株主、出資者、利益の分配を受ける者を見ても、彼らは不特定多数である。
このように、不特定多数の利益という公益のプリミティブな定義は、受益者が不特定か否かによって共益と区別する点で有用であるに過ぎず、私益と区別する基準としては無力である。
(2)では、公益を私益と区別する基準は何か。
それは受益者(顧客)レベルの基準ではなく、活動者レベルの基準であって、要するに、活動者が個人(株主、出資者)に活動の成果(利益)を分配することを目的として活動しているか否かである。
この点において、公益認定法が、当然の前提として、利益を分配する活動を公益活動からはずしているのは正しい。
(3)しかし、それに加えて、収支相償を公益認定の要件にしたのはなぜか。その理由が明確でないから、運用が混乱する。
1つには、公益は、受益者を特定できない利益だから、反対給付を得ることができず、したがって、収入を得ることはできないものだという考え方がある。これはドグマである。もし「公益」を、受益者を特定できない利益だというように限定して定義するとすれば、それは1つの政策ではあろうが、実態にそぐわない。教育も福祉も司法も高速道路も、公益ではなくなってしまう。
もう1つの考え方としては、その公益活動によって分配できるほどの利益が得られるのであれば、それは営利活動として行えばよいのであって、公益活動として優遇措置を与える必要がないというものがある。
例えば大震災で社会インフラが破壊されたとき、救援者は、飲食物を無料で配る。典型的な公益活動である。しかし、近隣の飲食店が機能を回復し始めると、無料配布活動から手を引いていく。つまり、過剰な公益活動は、人間社会の基盤である自助の機能を阻害するのである。
ここから、たとえ利益を分配しなくとも、その活動が営利活動として成り立つものであれば、その活動を優遇する根拠はないという判断が導き出される。(注1)(注2)
そこで、事業の収支に着目したこと自体は、基本的には間違っていないということになる。
しかし、規定ぶりをみると、公益法人認定法5条6号、14条に定める収支の相償は、非現実的であり、公益認定要件としての合理性もない。事業遂行上収支の相償を要求されたのでは、どんな事業も継続できない。そこで行政解釈で種々ルールの緩和措置を採っているが、危うい作業である。
(4)利益を分配しない事業が営利事業としても成り立つものかどうかの判断は、複雑な個別の要素の下における総合判断であって、類型的な基準を設けるのは難しい。立法としては、「当該事業を営利事業として継続できることが確実に見込めるとき」には、公益認定をしないという程度のラインが具体的妥当性を得るものなのではなかろうか。(注3)
(5)このこと以上に、認定実務を混乱させている立法の過誤は、寄附金や補助金など、無償で得る収入を、収支相償の計算における収入としたことである。
そもそも収支相償は、営利事業として行うことのできる事業には優遇措置を与えないという政策に由来するルールだとすると、寄附金や補助金のように、営利事業では通常得られない収入を除外して事業収入を計算しなければ、営利事業として確実に行えるものかどうかは、判断のしようがない。
寄附金や補助金などは、一般的に言って、当該事業が営利事業としては成り立たず、しかも、公共のために欠くことのできないものであるからこそ拠出されるものである。民間の寄附者の判断はきわめて厳格であって、大企業の倒産のように、多数の失業者の救済という公益の実現が求められるときでも、まず救済のための寄附はしない。
つまり、民間の寄附金等の拠出は、それ自体が民間人による厳格な公益認定であって、ここにパブリックサポートテストの根拠がある。
そのことを考えれば、寄附金等無償で拠出された金品は、収支相償の計算をする場合の収入や遊休財産から除外しなければならない。ただし、それが死蔵されないためのルールと、相続税逃れの贈与を規制するためのルールはつくる必要があるが、それでこと足りるであろう。
この立法過誤は、寄附文化の醸成に大きな弊害をもたらす。早急に検討委員会を設けて、基本設計の歪みを正すべきであろう。
2 事業比率
(1)公益目的事業の比率が半分以上を占める法人であることという要件(公益認定法5条8号・15条)も、悲喜こもごもの結果を招いている。それが納得できるものであれば問題ないが、社会的意義からすれば当然認められるべき法人が、認定申請を自粛して一般法人に移行したり、申請に非常な苦労を強いられたりしている現状は、法が社会的損失を惹起していると言ってよい状況である。
1つは、共益目的事業との区別に関する問題である。
共益とは、特定複数の利益であるが、特定の事業者や特定の資格、職業等を有する者を社員、会員等とする団体は、それだけで、共益目的団体とする考え方がある。
これは狭きに失し、社会における公益の実情に適さない。例えば学会は、入会資格を特定しているものが多いが、学会の事業が研究の推進であるなど、不特定多数の利益を目的とするものであれば、それは公益事業である。誤った考え方に誘導されて公益認定申請を諦めた学会が存するのは、社会的損失である。
事業者団体であっても、その団体が構成員である事業者の私的利益の増進(共益)を主たる目的とするものではなく、不特定多数の者の利益の増進を主たる目的とするものであれば、公益を目的とするものと認定しなければならないであろう。
また、事業者団体で、専らその構成員の利益の増進を目的とするものであっても、その構成員が公益を目的とする事業を営むものであれば、公益を目的とするものと認めるべきであろう。
運用は、かなり柔軟に行われているようであるが、まだ考え方が整理されておらず、申請を萎縮する傾向が残っているように見受けられる。
(2)もう一つ、おそらく立法過誤の最たるものと言えるのが、公益認定法15条3号である。
同号は、法人の運営費を、公益目的事業の経費及び収益事業等の経費と別建てにして、これは公益目的事業の経費とは認めないことにしている。そのため、法人は、実態においては法人の運営費であるのに(事務所の賃料、管理者に対する報酬など)、これを事業別に区分けして、公益目的事業費に計上するなどという、観念的で有害無益な会計処理を行っている。また、当然公益法人に認定されるべき法人が、この規定のため申請できないケースもある。
法人の運営費を会計上事業費と区分することは、正確に実態を反映している限り有用である。営利、非営利を問わず、複数の事業を営む者は、それぞれの事業ごとに収支を把握して経営判断を行うことが必要であり、そのためには共通経費である法人の運営費を除外した数字を必要とするからである。
しかしながら、法人が、公益を目的とする事業、及び、共益または収益を目的とする事業を行っていて、その中で、公益目的事業がどれだけの比率を占めるかを判断するときには、共通経費である法人運営費は、それが実態によって区別できない以上、各事業の比率に応じて各事業の経費に配分するのは、当然のことである。公益目的事業や収益事業等と並列して、法人運営事業があるわけではないからである。(注4)
これについては、法人運営費が過大で事業費の半分以上を占めるような法人は、役員報酬が過大で、公益目的事業を隠れ蓑にしているから、これを排除するため別建てにすべきだという議論もある。しかし、それは、公益性の有無とは別のレベルの問題である。役員に対する報酬等の過大な法人は、実質上利益の分配を行っているものであるから、公益法人どころか非営利法人とも認められないのであって、それは役員の報酬についてのチェックの仕組みによって判定すべきである。
(3)この誤りは、いろいろな不都合を惹起している。
例えば、寄附を受けた財産や補助金などは、公益目的事業のために使用するのが原則とされている(公益認定法18条)。この規定自体は当然のように読めるが、この公益目的事業の経費が、15条において法人の運営費と区別されているために、法文の解釈として寄附金や補助金などは、原則として、法人運営費に使えないこととなる。
しかしながら、その法人が公益事業を営むためには、法人の運営が成り立たなければならない。そして、その事業を応援するため寄附する者が、その事業を成り立たせるのに必要な経費である法人運営費にこれを用いることをことさら排除する意思を持っていることは、実態として、まずない。補助金や助成金は、いわゆる天下り法人がこれを過大に役員報酬に使うのを防止するという特別な理由で、事業の直接経費に使うことを条件とすることはあるが、まともなケースでは、補助金、助成金の使途から法人の運営費を除外したのでは、事業の振興という補助、助成の本来の目的の達成が困難となることが少なくない。
誤った規制は、早急に改める必要がある。
3 遊休財産の保有制限
遊休財産の保有制限(公益認定法5条9号・16条)は、基本的には、収支相償について述べたのと同じ発想に出るものであり、したがってその問題点も同じである。
公益法人は、その運営を継続するため、その保有する財産が遊休財産と認定されないよう四苦八苦しており、内閣府公益認定等委員会(以下「認定等委員会」)も、法の定めるルールを緩和すべく、ガイドライン等において、例外措置を次々に広げている。
まず、寄附財産は、法制度上、この制限から除外すべきである。実質的な営利事業を行う公益法人を排除する機能は、全くないからである。なお、寄附財産の管理については、先に述べたとおり、別のルールを検討すべきである。
次に、公益目的事業による(直接の)収入や収益事業による収入については、それが公益法人として相当なものかどうかを直接判断すればよいのであって、遊休財産の保有制限などという、迂遠にして抜け道の多い規制によるのは、疑問である。
確かに、これまでの不祥事を見ても、公益目的事業の発展を図るのに必要な額をはるかに超える財産が蓄積されると、個人的使途に使われたり(事実上の利益分配)、社会的意義を有しない事業に浪費されたりしているから、この制限は、必要性が認められやすい。
しかしながらそれは結果を見てからの判断であって、過大な資産が蓄積される原因となる事業をみると、公益目的事業が営利事業として行うべき規模に達しているか、あるいは、収益事業が公益目的事業遂行のために必要な範囲をはるかに超えているというのが実態である。
原因となっているそういう事業を規制するべきであって、結果を規制するのは無駄が多い。
4 その他の問題
公益法人認定法については、これまでに述べた基本的な問題のほか、公益認定の取消しの要件など、立法技術が拙劣なことにより生じている実務上の問題があるが、それらについては、公益法人協会を中心に提言や要望が行われているので、それらを参照願いたい。ただ、認定手続きについて、注意を喚起しておきたい。
V 認定手続に関する問題
認定開始後1年間の混乱はひどかった。
各省庁から出向した認定等委員会事務局職員の相当数が、公益法人認定法の目的を理解せず、公益の意義も考えることなく、民法の旧規定による公益法人認可の絶対的裁量権行使の経験を踏襲して、有害無益な質問を繰り返し、無用の資料を要求して申請者に多大な労力を浪費させ、さらに誤った解釈を示して申請者の意欲を削ぎ落としたのである。
2年目に入って人事の刷新や手続きの改善(初期の段階から常勤の認定委員が関与するなど)が行われ、大幅に改善されるとともに、認定のスピードが上がったが、それでも移行期間終了までのあと3年弱で任務を終了できる見通しはない。移行期間を延長するとともに、集中して検討を行って必要な法制度の改正を行い、不当に一般法人の道を選んだ法人に対し、申請を慫慂(しょうよう)すべきであろう。
地方自治体における認定事務の遅れはさらにひどく、また、国より権力的、恣意的な解釈、運用が行われている兆候も見える。
国の運用自体、ガイドラインからFAQ(「公益法人information」のウェブサイト参照)、果ては事務担当者の見解まで、法による行政の視点からすれば大いに疑問がある。また、条文によっては、解釈によって相当空洞化しているものもある。
ただ、国がこれまでガイドライン等で示した解釈は、おおむね、立法の過誤や偏りを正してあるべき運用に近づこうとするものと認められる。この基本設計に歪みのある法律を解釈によって補いつつ、不慣れな職員を使って限られた期間内に任務を完了しなければならないという特殊事情を考えると、先の疑問(いわゆる通達行政)には当面目をつぶらざるをえないかとも思う。
ただし、法令によらざる行政解釈による事実上の運用の統一は、それらの解釈が、公益活動の推進という法の目的に、(法令よりも)よりよく沿う場合に限定しなければならない。それが、法によらない行政が緊急避難的に許される唯一の条件である。基本設計が歪んでいる法律を行政解釈によってより歪んだものにしてしまう権限は、誰にもない。
それは、地方自治体の認定についても同じである。地方自治体及びその認定等審議会は、このことを深く理解し、法の目的に沿う国の解釈は採り入れて、認定事務を急ぐべきである。
W 公益法人税制に関する問題
公益法人税制については、公益法人制度のような基本設計の歪みはない。旧制度における税制の非合理的で後ろ向きな点は、基本的に正され、本来事業非課税、本来事業に組み入れた収益事業の利益の非課税、寄附の優遇措置などが実現している。
あとは優遇の程度の問題、及び、周辺の制度についての思想の一貫性の問題である。
公益法人税制の基本設計の思想は、公益法人制度のそれと同じく、適正なガバナンスの下で行われる公益活動は、国民にとって、国や地方自治体が行う公益活動と同等に必要なものであるから、国や地方自治体も、自分たちの行うサービス活動と同等にこれを尊重し、支援するというものであろう。
そのような視点からすれば、寄附控除について、公益法人に対する寄附は、収益事業または共益事業のために用いられるという特別なものを除いて、すべて国や地方公共団体に対する寄附と同様に扱うべきではないか。(注5)
寄附の優遇措置で新しい考え方に沿わないことが目立つのは、不動産、有価証券等の贈与・遺贈に関するみなし譲渡不適用の要件(税特措40条)や、相続財産の贈与・遺贈に関する相続税非課税の要件(同70条)が改められていないことである。寄附された不動産等が法人の事業の用に供される時であっても、換価されてその対価が供されるときであっても、それらが収益事業や共益事業のために用いられるのでない限り、不適用または非課税とすべきである。
これに関連して、寄附された物品の販売が収益事業とされるのは、不当である。寄附と一体をなす行為(公益の実現を目的とする行為)として、非課税にすべきである。
また、国税当局の解釈であるが、公益法人に対する会費を対価性を持つものと扱う実務が改まっていないように見受けられる。公益社団法人の議決権を対価とする考え方は旧きに失する(公益法人の運営に参加する行為は、経済的利益を生む行為ではない)し、たとえ、公益法人が会員に対し、情報や資料の提供など、何らかのサービスを提供していたとしても、公益法人と認定された以上、それは公益を実現するための行為であって、対価たるべき私的利益ではない。そこが共益法人の会費と異なるゆえんである。公益法人に対して支払う会費は、それが収益事業または共益事業の経費として用いられるものでない限り、寄附と認定される扱いで統一すべきである。
今年度の税制改正では、大綱によれば、特定寄附信託に係る利子所得の非課税を創設したり、公益法人についてもパブリックサポートテストによる所得税の税額控除を導入するとしたことについては一定の評価ができるが、それだけにとどまらず、公益法人に対する寄附優遇措置全体について、公益増進の視点から整合性が保たれた措置とするよう検討されなければならない。
税制については、せっかく基本設計を正したのであるから、地方税制を含めて、一貫したものにしなければ、効果が減殺されるであろう。
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<注釈>
(注1)営利活動が公益活動に優先するという考え方には、前提が必要である。
飲食物のように、その入手は代金を支払って行うという近代社会における実態が確立している場合には、この考え方が妥当する。
ところが、料理、掃除、車の運転など、日常生活において、代金を支払って他者のサービスを受けるよりも、自ら(無償で)行う方が通常であるというような領域においては、たとえ営利活動としてその行為を行う事業が成り立つとしても(家政婦業、タクシー業など)、それが公益活動に優先するわけではない。もともと、自ら無償で行うのが普通であるという実態があるわけだから、その行為を代金を得て提供する営業行為を優先させるべき社会的利益は乏しいからである。したがって、この領域においては、公益活動としてその行為を行う事業について、これが営利活動として成り立つものであっても、その公益性は否定されない。
(注2)この考え方は、事業の種別を単位とするものではない。
どんな事業であっても、代金を支払ってもその対象たる物またはサービスを入手したい層がある程度いれば、営利事業が成り立つ。しかし、これを得たいけれども代金を支払うことができない層に対してこれを提供する事業は、営利事業としては行えないわけだから、公益事業として優遇する必要がある。
飲食物の提供であっても、これを購入する資金を全く持たない層に対して提供する活動は、伝統的、典型的な慈善事業であって公益性を認めなければならないし、都市部では営利事業として成り立つ芸術活動を、これが成り立たない地域に出向いて行ったり、対象を学生、生徒に限定して提供する活動には、公益性がある。
実務的見地からは、顧客(事業の対象者)を一定の低所得者等に限定して行う事業であることを、外形的に判断できる方式を考案することが社会的に求められる。そうすれば、その事業が公益事業であると認定しやすくなるからである。
(注3)ここで「公益」の定義と、その解釈運用についてまとめておきたい。
公益認定法は、「公益目的事業」を定義して、「学術、技芸、慈善その他の公益に関する別表各号に掲げる種類の事業であって、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するもの」と言っている(2条4号)。
そして別表には、教育、文化、福祉、人権擁護、国民生活の安定向上その他の種類を目的とする事業が掲げられているが、どの項目についても、それに該当する事業を営利事業として営むことが可能である。現に株式会社として、教育、文化、福祉、人権擁護、国民生活の安定向上などを目的とする事業を行っている会社は、多数存在する。そして、本文に述べたとおり、営利会社も不特定多数の者の利益の増進に寄与するものである。したがって、法における「公益目的事業」の定義には、営利事業が相当に含まれ、「公益」独自の定義として成立しない。
また、別表(別表に基づく政令を含む)掲記の種類以外の事業で、不特定多数の利益を増進し、かつ、営利事業として行うことが困難な事業は、数多く存する。したがって、別表による限定は有害だということになる。正確な公益(目的)事業の定義は、「不特定多数の利益の増進に寄与する事業。ただし、営利事業として行うことが確実に見込めるもの及び公序良俗を害するなど公益事業としてふさわしくないもの(公益法人認定法5条5号参照)を除く」ということになる。
ただし、ふさわしくないか否かの判断は、恣意的になるおそれがあるため、そのマイナス(危険性)と、別表で限定するマイナス(認めるべき法人が認められないこと)とを比べ、立法者は、別表方式を採ったものと考えられる。
とすれば、現行法を運用するにあたっては、別表に定める種類は、政令によって可能な限り広めつつ、種類該当性の判断は緩やかに解釈すること、及び、法文上表れていない、営利事業として行うべきものであるか否かの判断を、前掲(注1)及び前掲(注2)に留意しつつ、的確に行うことが求められる。
(注4)会計項目の整理は、目的に従って行う必要がある。適正な経営判断を行うための整理(営利事業、非営利事業を問わず、これが基本類型)、公益事業と収益事業等を区別するための整理(公益法人会計)、課税対象事業と非課税事業等を区別するための整理は、整理の基準が異なるし、同じ収支について、項目を異にするものも生じる。
これらの整理を、1つの法人について1つの会計で行おうとするから無理が生じ、会計処理のあり方を根拠に実態の判断(公益事業あるいは非課税事業に係る項目か否かの判断)を歪めるという弊害が生じる。
基本的な見直しが求められる。
(注5)国や地方公共団体に対する寄附は、租税収入と同視すべきものとして、最大限に優遇されている。
そこで、租税収入と寄附金を比べてみると、国や地方公共団体の行う「公助」の活動は、国民に対する基本的責務を果たすためのものとして、租税収入その他確実に見込める財源によって予算化され、それに従って行われるべきものであって、寄附金のような不確実な収入をもって行うのは、安定性を損なう。寄附金は、その意味で、公助の活動に用いるのに適さないといえよう。
これに対し、「共助」の活動(共益のための活動でなく、公益のために行う民間の活動。すなわち「新しい公共」)は、自発的活動であるから、その資金は自発的に行われる寄附によって支えられるのが、その性質に適する。
そして、「公助」と「共助」を比較すると、国民にとっては、まず「自助」(経済活動は、自助の重要な手段)によって生きることを基本とし、自助の足らざるところを共助により、それにてなお生存を全うできないところを公助によって生きるのがあるべき生き方であるから、共助の活動の充実は、公助の充実に劣らず、重要である。
国及び地方公共団体にとっても、公助は共助と補い合って公益を実現するものであるから、共助は公助に劣らず重要である。
特に日本の現状では共助の活動が乏しいから、これを振興する必要性が大きいのであるが、「共助」の性質上、行政が補助金、助成金によって全面的に支援するよりも、活動主体が寄附金(会費を含む)や事業収入等により自ら活動資金を集めて活動するほうが自律性が保たれた活動になる。
したがって、行政は、一定のガバナンスが保証された「共助」活動団体に対する寄附金については、「公助」を支える補助金等の租税収入以上の社会的意義を有するものとして、支援しなければならない。
つまり、公益法人に対する寄附は、少なくとも、国や地方公共団体に対する寄附と同等に優遇されるべきだということになる。
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