政治・経済・社会
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提言 政治・経済・社会

更新日:2012年2月25日

最後まで自宅で暮らせる社会
 現に、南三陸町(宮城県)の被災者の方々は、昨年の台風12号で被害に遭った十津川村(奈良県)の方々のため、なけなしのお金を集めて、義援金を送っている。
 人は、世話してもらうよりも、世話する方が気持ちがよいのである。福祉の最終目標に「尊厳ある生き方」を掲げるのも、人のそういう気持ちを大切にするからである。
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 2000年にできた介護保険制度も、そういう精神に基づく。それまでは、自分でお金を払えず、家族に看(み)てもらえない人だけが行政のお世話になっていた。
 その費用は納税者が払っているのだから、ありがたく思わなければならないのだろうが、現場はそんなに甘いものではない。どうして貯金してないのか、どうしてあなたの子は親を看ないのか、とさんざん問い詰められるのは、屈辱以外の何ものでもない。
 だから、自分も払った保険料で権利として介護を受けるというのは、尊厳に向けての大進歩であった。
 ところが、国際的に見て画期的なこの制度も、まだ「尊厳ある生き方」という目標から見れば、至らないところがある。
 それは、「最後まで自宅で暮らしたい」という、多くの人々の希望に応えていないところである。
 「自宅で暮らす」ということは、自分のしたい暮らしをするということで、それは「尊厳ある生き方」そのものである。施設や病院で、いろいろなルールに縛られ、したいことを我慢して暮らすのが嫌だから、多くの人は最後まで自宅で暮らしたいと望むのである。
 しかし、現実には、自分で買い物も調理もできないような状態になると、家族に面倒を掛け、自分のために犠牲になってもらうのは嫌だというので、我慢する腹を決めて施設に入るのである。
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 その「至らないところ」を是正するために登場したのが「地域包括ケア」であり、その中核となる「24時間地域巡回型サービス」である。 
 つまり、これまでのようにヘルパーさんが1日に1回訪問して世話をするという方式を改めて、24時間いつでも必要な時に訪問して必要なお世話をするという方式にする。食事も三食届けるし、看護師さんも必要な時に訪問する。
 介護保険をこのような方式に改めると、利用者は、どんなに重い状態になっても一人で自宅で暮らせる。同居している家族に、しんどいお世話をさせることはない。
 この方式は昨年、全国の53市区町で試行された。その結果、人手の面でもお金の面でも大丈夫やれるということが分かっているし、利用者の方々の満足はいうまでもない。やっと介護の制度が「人間らしい生活」を支えるところまで来たのである。
 いろいろな人たちがこのせっかくの制度に反対しているが、その理由はすべて「世話する側」の論理である。
 被災地の方々もそろって「ぜひに」と望んでいるこの制度を、頑張って日本中で実現したい。すべての人が、最後まで人間らしく、自分らしく暮らせる社会を実現するために。

(信濃毎日新聞「月曜評論」2012年1月30日掲載)

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