■政府が乗り出した
パワハラによる自殺や心的障害が社会現象となってきたため、平成23年、厚生労働省は「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」を起ち上げ、対策の検討を開始、平成24年には、会議やそのワーキング・グループの検討結果をまとめ、全国の企業や労働組合などに対し、アピール文を出した。
その反響はというと、ある組織のトップが私に言うには、「厚労省のパワハラの文書が回ってきたので気楽に見てたら、検討会議の座長に堀田さんの名前があるじゃないですか。これはいかんと思って、部下にしっかり取り組むよう指示しておきました」。
関心を引き起こしたのはよいが、対策に取り組むところまではいっていない団体が少なくないというのが現状かと思われる。その原因に、「何がパワハラに当たるかの判断はむずかしい」(厚生労働省の広報文書)ということがある。
そこで、この点を詰めながら、対応策を探りたい。
■セクハラとパワハラ
職場の人間関係でセクハラがよくないということは、パワハラに先行して認識されている。そこで、セクハラとパワハラを比べながら問題点を探ると、まず、両者ともに、あくまで理性的であるべき職場の人間関係の枠を超え、相手に精神的、身体的な苦痛を与える行為である。特に、相手の人格や尊厳を否定する行為は、両者ともに、絶対に許されない。しかし、精神的苦痛については、それぞれの人間関係ごとに、どこまでが苦痛を与える言動かの境界が異なる。ここが、両者ともに判断の難しいところである。
これに加え、パワハラ特有の問題として、職務遂行に必要な教育、指導との境界の問題がある。教育、指導そのものを精神的苦痛と感じる部下も多いであろうが、それがどこまで許されるのか。これも難しい問題である。
■職場の人間関係はあくまで理性で
その職場の目的が何であれ、職場に属する人間は、その目的達成のために、もっとも合理的な方法で、組織的に働くべきであり、個人的な感情を持ち込んで、組織の効率性を損なってはならない。
ところが、人間は理性よりも感情に動かされやすい動物であり、人の好き嫌いもあれば、怒りや憎悪、反感をコントロールできない事態に陥ることも少なくない。
それでもマイナスの感情をコントロールしなければならないのだから、職場で理性的に人間関係を保つことがいかに難しいことか、だからこそ常にそのように努力する課題を自分に強く課していることが必要かということを、自覚し続けていなければならない。
そのことは、子育てにおいても同様だから、万人の社会的義務だと言えよう。
パワハラ防止教育の基礎は、人間教育なのである。
■人格や尊厳の否定は絶対にダメ
このことは、夫婦間、親子間、教師・生徒間でも同じである。ましてや、偶然に生じた職場の人間関係においては鉄則である。誰にも、人の人格や尊厳を否定する権利はない。
暴力は、人格否定の最たるものである。暴力による身体的痛みは間もなく消えるが、受けた心の傷(屈辱感)は、生涯消えない。
言葉による暴力(脅迫、侮辱、名誉棄損)や態度による無視も、人格を否定し、心に傷を与えるから、無条件に許されない。
暴力や暴言を、二度と失敗させないための制裁だとして、正当化する意見もあるが、誤っている。暴力や暴言は恐怖や恨みを惹起するだけで、自律性を回復する矯正効果はなく、人間性を損なうというマイナス効果が残るだけである。
矯正効果を上げるためには、失敗の原因を具体的に考えさせ、その原因が二度と生じないよう自覚して努力するよう導くことが必要である。そして、それ以上の処置は必要がない。不必要な行為で相手の心を傷つけることは、違法な行為となる。
これまでの裁判例に現れた事案でも、身体的暴力及びこれと同程度に人格を否定し、名誉(尊厳)を傷つける行為は、無条件で違法とされていると言ってよいであろう。
■相手との関係次第で、生じる苦痛の有無・程度が異なる
「こんな簡単なこともできないのか」「どうしようもないバカだな、まったく」「この間言ったばかりじゃないか。何回言わすんだ」などというパワハラ文言、「色っぽい恰好してるね」などというセクハラ文言は、言い方その他の客観的状況によってセーフになることもあるであろうし、相手の感度や相手との人間関係の内容によってセーフになることもあるであろう。
「人によって違うから、いちいち気にしてたら上司なんてやってられないよ」という声も聞こえるが、投げ出してはいけない。
職務上不必要なことは、相手を傷つける可能性がある以上、言わないと肝に銘じるべきである。
「こんな簡単なこともできないのか」は、「これはこうすれば簡単にできるよ。考えてみなかったのか」と言えば足るし、「バカだ」はまったく不要(心の中で能力評価をしておいて人事に反映すればよい)、「この間言ったばかりだ。何回言わすんだ」は、「この間こうやれと言ったのを忘れたのか」と聞けばよい。それ位の言い方をしても傷つかない関係であることがはっきりしている場合以外は、傷つける可能性のある言い方はしないと決めておけばよい。
■教育的指導の範囲をどう考えるか
パワハラ固有の問題であるが、注意、指導そのものを苦痛に感じ、嫌がる人がいる。もともと、注意や指導を受け、謝罪するのは、決して愉快なことではない。しかし、職場の秩序を守り、職務を今後も適正に遂行し、あるいは人材を育成するために、注意や指導、あるいは相手の謝罪が必要な事態は、しばしば発生する。相手が嫌がるからといってこれを避けていては、上司の職責を果たしていないことになる。それどころか、自分が部下からパワハラを受ける劣位に立たされかねない。
では、その適正な範囲は何か。
それを判断する基準は、必要最小限のルールであろう。
まず相手がどれだけの自覚を持っているか。わかって反省している相手にくどくど言うのは必要度を超える。逆にわかっていない相手に手短に済ましては、職責が果たせない。相手の見極めが必要である。
どう注意するかについても、相手にわからせ、反省させるのに必要な最小限のやり方を考えなければならない。内容だけでなく、声の出し方、物の言い方も可能な限り穏やかにすべきである。
どこで?当然、人、特に仲間たちのいない場所を選ぶべきである。「恥をかかされている」と感じさせては、相手の心にひびかない。
相手が「自分の欠点を正し、成長させてもらった」と感謝するような教育的指導が理想的である。
相手がプライドが高い人物である時は、その能力いかんにかかわらず、注意の仕方にセンシティブでなければならない。しかし、相手が鈍感な奴だと思って油断すると、案外反撃されたりする。
感情を抑えて、あくまで理性的に。そうでないと、すぐ限度を超えてしまうと心得るべきである。
どうしても感情が抑えられなくなったら、深呼吸するかトイレへ。そのまま続けたら必ず失敗する。
■人事による報復はダメ。適材適所を目指す
注意してもさっぱりよくならないからクビにするとか、注意すると感情的になるから、人事評価で受付か倉庫係に回してしまうとか、それも裁判で負けるコースである。日本の裁判所は、人事に厳しい。
パワハラをなくすためのもっとも抜本的な対策は、適材適所の人事配置であろう。
個人的な好き嫌いや嫉妬の感情からパワハラをするのは論外で、真正面から撲滅すべきであるが、部下あるいは上司が組織上求められる役割を果たさないために、たまりかねて問責するうち度を超えてしまうというパワハラには、同情の余地がないわけではない。
そういうパワハラは、適材適所による人材配置によって解消するのが王道であるが、日本は労働者保護のため容易には解雇を認めず、また能力相当の職場に転職する社会的な仕組み(客観的能力評価、能力に相応する賃金その他転職が不利にならない仕組み)も、医師、看護師など、特殊な職業を除いてはできていないために、組織を超えての適材適所の実現は難しい。そこで、組織内人事配置でその実現に努めるべきであるが、それには、組織内各職場の適材像の把握と、きめ細かく人物の特性を把握したうえ職場のニーズに応じて行う新規採用及び人事配置などの仕組みが必要となる。しかし、日本の企業は、そこまできめ細やかな人事はほとんど行っていない。
そこで人材の配置ミスが結構発生し、それがパワハラを誘発しているきらいがある。
「この世の中に役に立たない人はいない」(エドガー・カーン)のであるから、すべての人材をその能力が生きる職場にはめ込むことが、日本社会全体にとっての利益になる。そうなればさまざまな社会的弱者が強者によみがえることができるのである。
長い道のりであるが、そういう社会(人間開花社会)を目指すことにより、パワハラ問題の迷路をなくしたいと願っている。
■マイナス思考でなく積極思考で
パワハラ問題を、「やってはいけないルール」の暗記と自己抑制によるルールの遵守と捉えたのでは、重苦しくて意欲が起きない。
実は、パワハラ防止のルールはすべて、組織の人材のそれぞれの能力を最大限に伸ばし、これを組織のために発揮させて最大の効果を上げるための戦術ということになる。
組織が最大の成功を収めることは、上司、部下を問わずその職責なのであるから、全員が常にその目的意識をもって適正に職務を遂行すれば、自ずからパワハラも生じなくなるはずである。そして、自己抑制も、さほどの苦痛ではなく、成功を得るための努力という認識に変わるであろう。
積極思考で取り組んでほしい。
■研修と話し合い
新規採用者に教育的指導の意義をしっかり認識させ、成長意欲を植え付けるべきである。
幹部には、厚生労働省が広報しているパワハラ対策の基本と、本文でここまで説いてきたパワハラの特性を会得してもらう必要がある。
特に今の上級幹部には、人格や尊厳尊重の感覚が弱く、組織優先の感覚が強い人が少なくないので、彼らの時代遅れの感覚を、上手に正していく研修が必要である。昼食後の勉強会で、女性の講師にやわらかな言い方で、しかしズバリと説いてもらうなど、工夫をしてほしい。パワハラ特集のある本誌を題材に使ってもらうことも考えられる。
内部告発を奨励し、目立たない相談方法を工夫するなど、パワハラやセクハラが闇に消えない社風を確立することも大切である。
そして、悪意のない加害者が自覚して自ら矯正するようにリードすることも心がけてほしい。
すべての人が生かされる明るい職場という夢を、みんなで追っていきたい。
*「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議」
詳細は、⇒
http://www.no-pawahara.mhlw.go.jp/related-documents/roundtable-discussion/index.html
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