更新日:2013年12月19日
地域の時代
地域の時代に入りつつあると感じている。
要介護のお年寄りも、住みなれたところで最後を迎えたいという思いが強く、医療や介護も、在宅で最後まで暮らせるようにサービスを届ける方向に転換しつつある。
障がい者や認知症の人に対する方策も同じ方向に向きを変えているし、子育ても、地域による教育を重視する仕組み(地方版子ども・子育て会議)ができつつある。それらに加え、今月6日に生活困窮者自立支援法が成立した。生活困窮者というのは、経済的に困っている人だけでなく、不登校児や引きこもりの人などを含む広い概念で、それらの人々が普通の生活に戻れるよう、地域の中で支援していこうという新しい仕組みである。
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社会的弱者と呼ばれる方々が、住んでいる地域の力で支えられ、生活力を取り戻し、子どもたちも元気に育っていけるならば、本人も家族も安心だし、施設や病院に入れられたり、学校と家庭と塾だけを行き来したりするよりもずっと幸せな毎日を送ることができる。 問題は、戦後の長い期間次第につながりを失ってきた今の地域に、弱者や子どもたちを受け入れ、支え、よみがえらせる力が残っているのかということである。
行政が仕組みをつくり、担当者を任命しても、地域の人々が知らぬふりをしたり、冷ややかな目で見ていたのでは、どの仕組みも成功しないし、本人も、救われない。
長野は地域の絆の残るところと聞くが、東京都心部では、私は過去5カ所で家族と共に暮らしながら、ご近所の方々と知り合ってあいさつをかわすようになった人は、自慢ではないが、一人もいないという状況である。ご近所に助けられ、今でも家族ぐるみで付き合っている方がいるのは、甲府と米国ワシントンDCの2カ所にすぎない。
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ただ、ここ数年、困ったときに助け合う関係の人々が地域に欲しいと願う人たちは、確実に増えてきている。子育て中の親たちだけでなく、認知症の人や要介護の人の家族などである。ご自身の健康のため地域の体操や清掃、地域探訪などの集いに参加する人も増加傾向にある。
「サロン」などとも呼ばれる地域の居場所の広がり具合には、目をみはるものがある。それに、自治会活動も、かつての封建おやじ会長・上から目線型のものから、元気おばさん会長・お互いさま型のものへ変身するところが出てきている。自治会を捨て、任意参加の地域協議会方式で、地域のやれる人が地域の困りごと万般に対応するし、やれないことは行政にやってもらうよう提言するという動きも、東北や中国地方などに芽吹きつつある。行政がそうした会に、任意に使えるお金を渡しているところもある。
冷たい都心部でも、高齢化した特定の団地で全員参加の住民助け合い活動が起きるなど、きざしはある。宅配会社も加わる見守り活動は、都市部でも広がっている。
今回、介護の分野で要支援者に対する生活支援を市町村に移すのを機に、地域のこれらの動きを点から面へと広げる仕組みをつくり、全国を「住みなれた、あたたかい地域」に変えていきたい。そして、すべての人の思いをしっかり受け止める社会にしたいのである。
(信濃毎日「月曜評論」 2013.12.16掲載)
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