政治・経済・社会
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JANJAN映像メッセージ 発言概要
堀田力の新しいふれあい社会づくり
(2006年2月16日撮影)
No.11 ライブドア事件の意味(上)  事件が提起しているもの
●うそをついてはいけない

 事件の意味というと、第一次的な問題提起と背景になっている深い社会のあり方という両方があると思うが、第一次的には、うそをついてはいけない、人をだましてはいけないという非常に単純なメッセージだ。

 従来は行政指導で、市場に参入してくる人たちについて事前に選んでルールをつくってしまって、みんなそこそこ儲かるということで戦後30年やってきて日本の仕組みができあがった。だから、そのなかではあまりうそをついてまで儲ける必要がなかったし、群を抜いて大儲けするという人もいないということでやってきた。

 ゲームに参加する人を選んじゃってみんなで分け合って、みんなそこそこやっていけるという、そういう仕組みの経済体制をつくってきた。

 それをこんどは壊して、いくら儲けてもいいぞ、知恵のあるものはどんどん儲けなさい、半面落ちていく人が出るのはやむをえない、それによって活力をつけよう、という方式に変わった。

●だまして儲けるのは論外

 ホリエモンはどんどん儲けているように見えたから、自由競争至上主義の人たちは持ち上げたのだろう。しかし、それはきちんと努力をして、知恵を出して、消費者に本当にいいものを提供する人はいくら儲けてもいいという話であって、人をだまして儲けるというのは論外だ。

 これはいつの時代でも絶対にしてはいけないということだ。昔から決まり切っているルールに違反してはいけない。こんどの事件は、そういう当たり前のことを確認させたということだろう。

 自由競争でがんばったらどんどん儲けていいという、それが活力の素だという、そのメッセージに目がくらんで、なんでもいいから儲けていいんだという話になってしまった。

 そこは違うよと、当然のルールは当然のルールを守った上での話ですよということを、もう一度確認させた。第一次的にはこの事件の意味はそういうことにあるだろうと思う。

●何のため、誰のための経済か

 第二次的というか、その背景には、IT分野などを主にいろいろなベンチャーが出てきて、ITをベースにしながら金融取引などのからくり、あるいは企業買収などの新しい大資本がやる金を生み出す技術にも手を突っこんで、大きな利益を得るところが出てきている。

 従来の日本の「和」の世界というか、みんながほどよく業界のなかで競争はするが、それぞれの節度を守ってつまはじきをされないようにしながらやっていくという、そういう世界から見ると、弱って困っているところを救う企業買収は従来から日本にもたくさんあったが、こんどのようにハゲタカみたいにどんどん飲み込んでいって敵対的買収をやって嫌がられても飲み込んででも伸ばそうというのは、とんでもないという話になる。

 しかし、一方で、それは強いものが勝つのは当たり前でしょう、市場ルールで違法でない限りは当たり前でしょうという、そういう考えの人たちが出てきた。

 それ自体に反感を持っていたところに、たまたまそれが足を踏み滑らせて絶対破ってはいけない、「うそをつかない」というルールを破ったものだから、なんだということで、一挙に新しい企業買収、M&Aというやり方とか、その他のいろんな金融の隙間をつくやり方にも批判が集まっている、そういう問題を引き起こしたわけだ。

 アメリカ流の資本力を背景に、実を伴わない買収あるいは金融上のいろんな、風評とまではいかないが、判断が不確かで動くところに乗じて、資本の力で一挙に買収をしたり、株価なり、為替変動を引き起こしてその上下に乗じて大もうけをしようというやり方が出てきた。大がかりなものでいえば※ジョージ・ソロスというようなひとが、タイやソ連の経済を揺さぶって大もうけしたりした、そのあたりに問題の根っこはあると思うが。

 そういう実を伴わない儲け方が賞賛すべきことなのか。たまたま取り締まり規定がないということで、どんどんやっていいんだと考えて良いのか。その辺は大きな問題だと思う。

 タイにしろソ連にしろ経済が弱っていたということは確かにあった。そこへ怠惰な経済というか、勤勉に働かない、経済の弱さというものもあった。

 だが、それにしても資本の力で為替変動を起こさせて、一挙に配下におさめてそれを売りさばいて実利を得るという、アメリカ国内では普通だし、日本でも、堀江さんなんかはそれだっていいじゃないかと考えていたと思うが、それでいいのかというと、これはやっぱり経済の一番の基本からいったらおかしいのだ。

 経済というのは実があって消費者に喜ばれる、つまりみんなの生活が充実向上する、それに役立つということによって、知恵を出し努力をした人たちが利潤を得るという、これは経済の絶対のな基本原則で、スタートの頃から、アダム・スミスの頃からそういうものによって経済が規定されてきた。どんな時代であっても守らなくてはいけないルールだと思う。

 株価にしろ為替にしろ、実経済を反映して動くのは当たり前だ。しかし、その実経済で、実際には企業の力が弱くなっている、勤勉に働かなくなっている、コンプライアンスが弱っている、或いは事業の読みが誤っている、これまでのやり方が時代に合わなくなっている、いずれにしても、それが顧客、一般の人の幸せにつながらなくなっている。

 これでは株価が下がる。国全体で落ちれば、為替で交換比率が落ちる。それは当たり前の話だ。そこまでは株の変動、為替の変動というのは当然にある。そこをいずれ引き揚げるつもりの資本をどんとぶち込んで、一見実があるように見せかけて変動を起こして売り抜けて儲ける。そういうのは、これは「実」を伴わない「虚」のやりかただ。

 
●実のないやり方がいいのか
 一般の人びとの生活水準を上げ、幸せにしたということと全然関係ない。単なる見せかけの、虚偽とはいえないにしても、虚偽に近い、実があるように見せかけた、ルール違反というか、本来の経済のあり方に反している点があって、それは決して褒められる方法ではないだろう。

 買収も、その企業が自分だけでやれなくなって落ちてきたときに、通常のルールでは倒れるということになるが、そこを補う企業が買収して新しい知恵や体力をつけさせて蘇らせる、そういう買収はすばらしい買収で、だから株主もあそこが実質良い事業に持ってゆくからと株を買おうとする、それは正しい判断といえるだろう。

 ところが、単に買い取って、実質は全然関係のない企業を買い取って、そのメリットはなんにもないのに、ただ買収したということだけで実際は目くらましで、そこの株価を上げて、その間の差益を自分の懐の手にしてしまうということは、虚偽とまではいえないし、証券取引法違反にはならないかもしれないが、やはり目くらましであり、実が伴わないやり方だ。

 そういうやり方がアメリカを中心にかなり出てきていている。それをやると株主に損害を与えるだけでなくて、実質、道具に使われた経済なり企業なりがよけいに弱るのだ。最後は捨てられてしまったりで。タイやソ連もかなり落ちた。それを契機にがんばるようになったのはいいが、その間に、沢山の人が受けなくてもいい被害を被った。ここが経済の本来のあり方に反するやり方だ。

 あのアメリカ流のやり方は経済のあり方の基本に照らしていいのかどうか。それが日本に入って、一番典型的にそういう哲学でやったのが堀江さんだ。実のないこういうやり方がいいのかという問題も背後には提起しているのだろうと思う。

 弱いところがあったらつけ込んで揺さぶって、大資本の力で一挙に乗っ取ってしまおうという、そこを立て直して実を取り戻すためならいいのだが、そうでなくて、そこで買収と株の変動でもうけてしまって、そのあとは夜が明ければ整理してしまおうというのでは実を伴わない。

 そういうやり方はよくないが、一方、やられる方からすればもっときちんとやらなくてはいけない、もっとガバナンスをやらなくてはいけない、たるんでいる、顧客のニーズをちゃんとつかんでいないといった弱みがある。従来なら弱そうでも仲間なんだと、月に一回昼飯食う仲なんだと、株を持ち合って、弱くてもそこそこやっていこうではないかという、そういう体質もあったことは間違いない。

 
●ガバナンスも問い返されている
  正すべきを正さず、怠惰を見逃し、ガバナンスが悪いところを見逃し、時代に合わなくなってしまっているのを許すというのでは、ここはやっぱり良くない。そこを自らきちんと反省しなくてはならないという、そういう問題をホリエモン流のやり方は提起もした。だから日枝さんもびっくりしたし、まず買収対策をやったのは仕様がないが、その前に本当はうちのガバナンスはしっかりできているのか、そこをきちんと見直すところまでいかないと提起された問題を受け止めていないことになる。

 そこは日本企業の「和」の体質の悪い面だから、きちんと直しながら、それにしても弱いところを立て直すために生かすための企業活動でないと好ましくないというルールは、新しい動きに対してたてる必要があると思う。

 
●「役に立つ」が大前提、しっかり言うべき

  アメリカを見ているとそういうことが起きないように技術的には情報公開などの対応をしているのは良い方策だ。しかし、基本に強いところが勝つんだということは当然の是としているというアメリカ流の考え方がある。「役に立って」かつ強いところが勝つという、「役に立つ」というところがアメリカ経済のなかに抜けていると思う。

 そこは日本もしっかりと腹を構えて、やっぱり一番の前提のところは守らなくてはいけないのではないかということは言わないといけない。

 アジアのためにも言わないと。アジアはこれからだし、弱いから、大資本からしたらおいしくなったら食ってやろうというジョージ・ソロスみたいなのが出てきてはよくない。

 ソロスも本では、「やっぱり経済はみんなのためでなくてはいけない」と言っている。そう考えているならなぜやったのかと言いたいが。

 彼が言っているところは言葉としては正しいのだ。そのことがアメリカ経済の本心になるように、日本もしっかりやらないといけないし、日本自身も自戒しないといけない。

 ホリエモン流は、ほかにも何人もいるが、違反するような虚偽をやった点が悪いのだという、それだけのメッセージだけで終わってしまってはこの事件の教訓としては足りない、もっと深いところを学ばなくてはいけないと思うんですね。(続く)

(2月16日収録)
※ジョージ・ソロス ヘッジファンドの旗手といわれる国際的な投資家。ハンガリー出身のユダヤ人。97年のアジア金融危機を引き起こした仕掛け人ともいわれる。
(インタビュアー(文責)/ジャーナリスト 大和 修)
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 [日付は更新日]
2006年1月24日 No.10 アジアの共助社会に学ぶ
2006年1月15日 No. 9  ロ事件から30年 今の社会 (「No8 年明けに思う」から続く)
2006年1月4日 No.8 年明けに思う
2005年12月17日 No.7 改革を阻むもの
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