第二次的というか、その背景には、IT分野などを主にいろいろなベンチャーが出てきて、ITをベースにしながら金融取引などのからくり、あるいは企業買収などの新しい大資本がやる金を生み出す技術にも手を突っこんで、大きな利益を得るところが出てきている。
従来の日本の「和」の世界というか、みんながほどよく業界のなかで競争はするが、それぞれの節度を守ってつまはじきをされないようにしながらやっていくという、そういう世界から見ると、弱って困っているところを救う企業買収は従来から日本にもたくさんあったが、こんどのようにハゲタカみたいにどんどん飲み込んでいって敵対的買収をやって嫌がられても飲み込んででも伸ばそうというのは、とんでもないという話になる。
しかし、一方で、それは強いものが勝つのは当たり前でしょう、市場ルールで違法でない限りは当たり前でしょうという、そういう考えの人たちが出てきた。
それ自体に反感を持っていたところに、たまたまそれが足を踏み滑らせて絶対破ってはいけない、「うそをつかない」というルールを破ったものだから、なんだということで、一挙に新しい企業買収、M&Aというやり方とか、その他のいろんな金融の隙間をつくやり方にも批判が集まっている、そういう問題を引き起こしたわけだ。
アメリカ流の資本力を背景に、実を伴わない買収あるいは金融上のいろんな、風評とまではいかないが、判断が不確かで動くところに乗じて、資本の力で一挙に買収をしたり、株価なり、為替変動を引き起こしてその上下に乗じて大もうけをしようというやり方が出てきた。大がかりなものでいえば※ジョージ・ソロスというようなひとが、タイやソ連の経済を揺さぶって大もうけしたりした、そのあたりに問題の根っこはあると思うが。
そういう実を伴わない儲け方が賞賛すべきことなのか。たまたま取り締まり規定がないということで、どんどんやっていいんだと考えて良いのか。その辺は大きな問題だと思う。
タイにしろソ連にしろ経済が弱っていたということは確かにあった。そこへ怠惰な経済というか、勤勉に働かない、経済の弱さというものもあった。
だが、それにしても資本の力で為替変動を起こさせて、一挙に配下におさめてそれを売りさばいて実利を得るという、アメリカ国内では普通だし、日本でも、堀江さんなんかはそれだっていいじゃないかと考えていたと思うが、それでいいのかというと、これはやっぱり経済の一番の基本からいったらおかしいのだ。
経済というのは実があって消費者に喜ばれる、つまりみんなの生活が充実向上する、それに役立つということによって、知恵を出し努力をした人たちが利潤を得るという、これは経済の絶対のな基本原則で、スタートの頃から、アダム・スミスの頃からそういうものによって経済が規定されてきた。どんな時代であっても守らなくてはいけないルールだと思う。
株価にしろ為替にしろ、実経済を反映して動くのは当たり前だ。しかし、その実経済で、実際には企業の力が弱くなっている、勤勉に働かなくなっている、コンプライアンスが弱っている、或いは事業の読みが誤っている、これまでのやり方が時代に合わなくなっている、いずれにしても、それが顧客、一般の人の幸せにつながらなくなっている。
これでは株価が下がる。国全体で落ちれば、為替で交換比率が落ちる。それは当たり前の話だ。そこまでは株の変動、為替の変動というのは当然にある。そこをいずれ引き揚げるつもりの資本をどんとぶち込んで、一見実があるように見せかけて変動を起こして売り抜けて儲ける。そういうのは、これは「実」を伴わない「虚」のやりかただ。
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