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JANJAN映像メッセージ 発言概要
堀田力の新しいふれあい社会づくり

  顧問を務める日本インターネット新聞(JANJAN)で映像付きのインタビュー企画が始まりました。今の世の中への折々の思いや呼びかけなどを随時お届けします。
  JANJAN上のアドレスをクリックすれば見ることがで きます。発言の概要は以下の通りです。今後も定期的に同ホームページで発信していきますので、どうぞ併せてご覧ください。

(2006年4月25日撮影)
No.13 認知症高齢者の尊厳を守ろう―地域ぐるみで支える仕組みを―
  【前編:問題と被害の実態】
●「法律が及ばない暗黒領域」

  わたしが「新しいふれあい社会の創造」ということでこの活動を始めたのが1991年、もう15年前になるけれども、この活動に入ってみて、いろんな高齢者の実態のなかで一番深刻なのが認知症、当時は痴呆症といわれていたが、の問題だろうと思った。

  これはもう法律の暗黒領域であると―まったく法律が及ばない、悪い人たちがやりたい放題である、人間としての尊厳、気持ちが無視されている、そういうことを本当に実感した。

  認知症はいま160万人。やがて200数十万人にまでふえてしまうだろうといわれている。これは、どういう人が認知症になるということはまったくわからない、アメリカの大統領をやった人でも認知症になる、つまりどんな人でも最後、なる可能性がある、そういう病気なのだ。

●屈辱感を持ちつつ死を迎える最悪の事態

  あまり認識されていないのだが、認知症というのは典型的なのが記憶が欠落していくという症状だが、一挙になるわけではなくて、ばっと記憶が欠落したり、また元に戻ったり、まだら模様で進行していく。そのなかで人間的な感情とかそういったものはまったく損なわれずに、もう自分のこどもの顔、名前もわからなくなっても、そういうもの(人間的な感情)はしっかり残っている。

  つまり人間としての、認知症でない人と同じぐらいに気持ちがあり、人間らしく生きたいというその気持ちが強いのだ。(そういう気持ちは)普通にある。しかし、それが表現できない。表現できないからどんどん人から虐げられたり財産をとられたり、ひどい状態に置かれて、本人は大変な屈辱感を持っているのだが、それもどうすることもできなくて、そういう状態が続いてやがて死を迎えるという最悪の事態なのだ。

●弱さに付け込む虐待、詐取・・・

  そういう実態があるうえに、最近彼らをだましてものを売りつけたり取っていったりというのがある。実際預金通帳などを持っていく。リフォームで入ってきたのだが、相手がこれはわからないとなったらもうリフォーム詐欺という形すらとらずに、本人が持っている預金通帳を取り上げて持っていってしまう。これはもう強盗だ。詐欺師が強盗に変わってしまう。相手の弱さを見て…そういう外からの被害がある。 

●身近なところからも

  それから中の、たとえばヘルパーさんがいろんなものを持っていくというのもこれはまったく表に出ないが結構潜在的にある。もちろん良いヘルパーさんがたくさんおられる。持って行くヘルパーさんも本来は良心的なきちんと仕事をしようという人なのだが。

  けれども、この人は持っていっても持って行かれたということがわからない、この人の預金通帳を持って私がお金をおろしてそれで買ってあげないと仕事ができない、そうすると、このお金を私が少し上乗せして持っていっても誰にもわからない、本人にもわからない、こういう状況に置かれるとやっぱり人間というのは弱い。

  弁護士の横領は結構あるが、目の前にお金があって、弁護士だから悪いことだと山ほど、いやというほどわかっている、一番よくわかっている、それでもやっぱり誘惑にかられてしまう。ヘルパーさんも同じで、わからないとなると、最初はお砂糖をちょっと多めに買って持って帰っているというようなところから始まって、段々お金になっていく。 

  この被害は一切表に出ない。そのようにして見えないところでどんどん浸食されていく。

  それから最大の加害者が子どもだ。とくに息子が数としては多い。これは親がもうわからないとなると情けないのだ。しかし見なくてはいけないというのでやっていると虐待になる。(つまり)自分のストレスがたまるから虐待する。これは表に出ない。

  それから財産だ。これを使わさない。使わさなければ自分の所に来るわけだから。そうすると、親を大事に思う気持ちがあっても、それは自分が大事か、親が大事か、この財産を自分がもらうか親のために使うかとなると、自分の方を優先するのが人間としての普通の判断だ。やっぱり自分が一番大事だから。

●表に出にくい被害

 そうすると親がお金を持っていても施設に入れない。財産を残すために、自分が見ている。腹が立つ。虐待する。だから、一生かかって自分の最後の安泰のために貯め、使わずにきた財産が使わせてもらえない。そういう認知症の人たちも非常に多い。

  息子さんのそういう行動というのは娘さんがクレームを言ったりして表に出ることもあるが。たいてい家の恥、兄弟仲良くというのがあるから、多くのケースは外に出ない。ヘルパーさんのも全然出ない。外からの詐欺師のものもほとんど出ない。

  だから完全に法律の暗黒領域だ。これはもうやりたい放題の状態で、しかも本人がわからないと思ってそれをやられる。確かにやられたことはわからないが、(そして)具体的にこれだけあった預金がこれだけ減ったということは言えないが、自分がやられている、大事にされていない、財産があったはずだけどどうにもならないという、そういう思いはむしろ人一倍ある。
 
  認知症の人が盗まれた、あなた泥棒でしょうと介護者を言うというのももうお金が頼りなのだ。それがちょっと見あたらないと、そこにいた人に泥棒だろうという。それが介護する人だから、私が一生懸命にこんなに介護して、主人の親だというので主人がやらないで私ばかりがやっていて、それで泥棒呼ばわりなんてというので、がたがたしたり、介護者の方が離婚になったりということになるが、あれは、その人が息子の嫁だということがわからない。わからないことはわかっている。しかし、お金が頼りだということはわかっている。これを隠すのだが、隠したところを忘れてしまうから、ない、泥棒という。

  それだけ、つまり自分のためにお金が必要であり、安心する状態がほしいという思いはむしろ一般の人以上に強い。それがやられてしまって、しかし具体的な状況が言えないから一切事件にならない。これが実態だ。

●立ち後れてきた制度面の対応

  ただ、数十年前にぱらぱらと認知症が日本で出だしたころは、なにか遺伝子がおかしいみたいな判断でよくわかっていなかったから、家族が隠して座敷牢みたいなのがあった、虐待はそのころの方がひどかったのだと思う。

  財産被害とかではなく、押し込めるとか、世間から隠す、そういう状況で始まったのが段々一般化して表に出るようになった、その点ではよくはなったが、しかし表に出ても全然救える仕組みができていない。法律が全然及ばないと、こうなっていた。

 
●成年後見制度の必要性
  これはどうしても後見人制度をしっかりつくって守る人がいる。しかも、第三者の守る人がいるということで、私も随分法務省に働きかけて、法務省は腰が重いのだがこの問題については割合動いてくれた。人権の一番基本が壊れてしまっているわけだから。

  外国にいろいろ調べに行ってくれて、勉強会もやってくれて。車の両輪という売り出しで介護保険制度と一緒に2000年にスタートした。だが、こちらの方はいってみれば上からの働きかけで本当に湧いてきた声ではない。みんなまだ隠している段階だったから、制度をつくってくれという声があまり大きくなっていなかった。

  それでスタートしたものだから、仕組みの方が先行したところがある。実際の社会のニーズはヤマほどある、深いニーズがあるが、これが表に出る前だった。それで十分行き渡っていないというところがある。ともあれ、これをつくってくれた。

 
●グループホームについて
  もうひとつ小渕さん(元首相)が最初の内閣改造のときに、厚生大臣になってくれという話を私に急に言ってきた。もちろんお断りして、当時は後任者のこともあるし黙っていた。このごろはもういいと思って言っているが、その厚生大臣になってくれといわれたときに、彼がそうしたら自分は郵政は強いが福祉は弱いので、福祉の勉強したいと言って、1時間くらい、公邸で、そのときの問題点を全部話した。そのなかで、この認知症の問題ももちろん強調した。

  どうすればいいのかというから、グループホームだと。成年後見の方はつくるように動き出したが、グループホームを急激に広げないと、施設に入れても閉じこめられ、しばられてまったく人権を無視されている、もっとのびのびと自由に暮らせる場所が必要で、それでグループホームだと言った。彼はグループホームを知らなかった。それで見学させてくれというから、横浜のグループホームのオクセン(横浜の認知症グループホーム)に小渕さんを連れて行った。彼は非常に感銘を受けて。

  非常に人間的に扱われているから表情が生き生きとしているわけだ。ちゃんと話をするわけだ。警備員も全部はずして彼と私と施設長さんと3人で入所者の人たちと話した。なにか要望があるかと言うと、もちろん総理大臣ということはわかっていないのだが、この前、ホームの前に駐車違反がいっぱいあって散歩に不自由だからなくしてくれませんかというような話をした・・・。あなた方のような、ちゃんと背広を着てネクタイしめた人ががんばってくれないと社会がよくならないと認知症の人が言って…。

  それで彼(小渕元首相)はこういう風にしてやることが大事だと。それで予算をぼんとつけて。今、グループホームは7千いくつにも広がった。もう要らないというくらいに。実際まだまだニーズあるが。地方自治体が予算がないだけで。(ともあれ)彼のおかげだ。だからグループホームがひとつの決め手なのだ。

 
●地域で受け入れる仕組みを
  で、成年後見制度があって、そして(グループホームと)このふたつでしっかり支える仕組みができたら、あとは地域でみんなで受け入れるという仕組み、これができあがれば認知症の人も普通の人と同じように暮らしていただけると思う。
 
  【後編:市民後見人への挑戦を】
●成年後見制度の課題

  それから成年後見制度。これはしかし、いま6、7万人だ。ドイツはもう100万人を超えている。人口は3分の2位だが。日本の認知症が今160万人だから本当は160万人ほしい。

  家族でない第三者でないと、家族はとくに財産があったりするときに利益相反になる。そこが人間の悲しいところだ。だから家族からも場合によっては守らなくてはいけないときがある。そういう意味ですべての人に、判断能力が少しずつ欠けていっているわけだから後見人がつくぐらいのところまで行かないと守りきれない。

  ところが、認知症の人の後見人は8割が家族になってしまっている。そして、家庭裁判所ももうこれ以上は監督したり、仕組みの方で手一杯などと言い出していて、情けない状態なのだ。

●報酬などに限界

  しかもなる人が出ない。弁護士がなかなかならない。月に3万、4万位の報酬をもらうのだが、払う方は非常につらい。つらいお金なのだが、弁護士にすれば大きなリスクがあって、泥棒呼ばわりされたりするからあんまりいい報酬ではない。司法書士さんが結構がんばってくれているが、いま3〜4000人で、これは限度はある。全部入っても7万人そこらで、160万という数字には及ばない。どうこれを解決するか。

●ボランティアの出番

  あくまで本人の立場にたって、本人が人間らしく生きたいという願いを持っているということがわかって、その本人の口に出さない思いをきちんと察して、むしろ本人のためにお金を使ってあげる。後見人というと財産を守ってあげるという感じがいままで強いが、そうではなくて、本人のために最適に使ってあげる。そういうことがわかっている人たちをたくさん養成する。これをボランティアで、つまりなかなか毎月そんなお金を払えないわけだから、ボランティアでやっていただく。

●市民後見人の養成が必要

  平素やることはそんなにたいしたことではない。ちゃんとお金を管理して銀行から少し降ろして本人が必要なものは買ってあげて生活がきちんとできるように。本人の意向を機嫌のはっきりしているときに聞いてあげる、察してあげる、家族からも外からも守ってあげる。これは自分の財産を管理できる人はできる。サラリーマンOBもできる。まして銀行で信託業務をやっていた人たちは完全にできる。

  ただ、そんなにお金を持っていないので、この方を守るにはやっぱりボランティア精神でやってもらうほかない。そこで市民後見人というのを今わたしどもは高連協(高齢社会NGO連携協議会)という組織をやりながら司法書士会などとも組んでその養成にかかっている。

  こういう方がたいていの日常業務のことはやれる。ときどき息子が年金のたまったものを寄こせとか、家を売れとか、施設に入れるかどうかというときに入れるなとか、高いところには入れるなとか、有料はやめろとか、そういう問題が起きる。

●プロとも連携をして

  そういうときはプロのボランティア、弁護士や公証人をやめた人、ああいう人たちがちょっと知恵を出してくれれば、いざとなれば法律問題として解決してくれる。そういうことでボランティアの市民後見人とボランティアの財産管理、財産の使い方のプロとを組み合わせて広めていきたい。

●地域包括支援センターとNPOが連携して

  私どもはNPOをそれぞれの地域につくりたい。こんど地域包括支援センターが2、3万人にひとつずつできる。ここが財産管理の義務を負っているが実際にはやれないから、それに対応してNPOがあって、何人が市民後見人がいて引き受けるようにしたい。

  実際にひとりで引き受けるのはむずかしい。心理的負担が大きい。どちらが先に死ぬかわからないし、なにが起こるかわからない。それでためらう人が多いが、NPOとして引き受けて、そのなかで一番合う人がやって、もしなにかあれば誰か引き継ぐということにすれば、頼む方も頼まれる方も頼みやすい。

●認知症を知り、地域をつくる運動

  今はともかく認知症というものをまだまだ誤解があるから、それを理解してもらおうというので1年間やった。各地方自治体などから随分反響があった。それをこんどは地域で認知症の人を理解して受け入れるという、そちらの方に結びつけていきたい。

  そうすると、認知症の人はいざわからなくなったらここへ連絡してくださいという責任、たとえば管理者の札などをつけていれば、社会に自由に出て行ける。それできちんと対応できる。買い物のできる人だってたくさんいる、散歩もできる、どんどん地域のなかに出てきてもらう。地域全体でそれをカバーするという。

  そうできなれば、閉じこめておくという、(これは)非人間的だ、認知症になっても外を歩きたい、そこを開放できる。地域で受け入れていただくための活動を進めている。これはなかなか反響が大きい。

  市民後見人も、勉強しますという応募者が結構現れてくれて、やっぱりいいことに少しは役に立ちたいと。講座もそんなにすごい数はやっていないが、それでも全国的には何百回となって、結構たくさんの申し込みがあって普通定員オーバーだ。ボランティアでおしめを替えましょうということではなかなか動かない男性も、人の財産の管理をしてきちんと支えてあげるとなると、それなら俺だってできるかなあという人が多くて。

  それでどうしてもお金がいりますかという問いには、そういう人もいるが少数派だ、どこでも。ボランティアでやりましょう、実費ぐらいいただければそれで十分ですという感じの人が多数派だ。ある程度財産のある方からはいただいて全体の運営費にして、(それを)分かち合いながら進めていけば、なんとか160万人に対応できるようになるのではないか。

  社会全体で支えないと。それはもう家族で支えるというのはまったく無理だ。結構まだ多いのだが、サラリーマンをやめて親のことだから支えますとやっておられるけど、それは無理だ。初期の時だって無理だ。あっという間に飛び出すのだから。

 
●先進的なドイツの世話人協会
  ドイツは仕組みをつくるのが早かった。日本もドイツの仕組みを勉強しながら制度をつくった。(ドイツは)世話人協会というところで養成して供給していくという制度だ。日本にはそういう仕組みはまったくない。だからやっと私どもが動き出したくらいのことで、だいぶ遅れている。もちろん権利意識も違う。ヨーロッパ、アメリカでは自分の財産については、最後まできちんとして、遺言書くことが当たり前だ。日本では遺言を書く人もいないくらいだ。やっぱり家族に依存してしまう、ゆだねてしまうという、一番基本のところもできていない、まだ意識が。
 
●若い世代も自分の問題として参加を
  アジアは全部家族で、本人がだめなら家族で支えるという仕組みだが、日本は家族の方はどんどん無理になってきたが、それに対応して個人として自分に全責任を持って生きるという強い心構えに変わってきているかというと、若い人から家族が壊れていって、高齢者はまだちょっと遅れていて自己責任の意識が追いついていないというそういう今過渡期、転換期なのだろうと思う。

  大事なときだ。自分でがんばってやろうという自己責任の意識は強い方向へ着実に動いている。こどもの世話になるというのはアンケートをしたら少数派だ。半分から4分の3くらいは、こどもの世話にはならないと。(逆に)こどもの方が世話しますなどとアンケートではいっているが、実際はなかなかそうはいかない。

  基本は自助であるということだ。私どもは共助、共助、助け合いといっているが、そのもとに自助がないと、これはもたれあい、依存になってしまう。ここのところをしっかり、とくに高齢者のほうが意識を高める必要がある。

  (若い人、元気な人も)自分もいつ他人に見てもらうかわからないのだから、自分がちゃんとやれるうちはNPOに所属して人のことを見ておこう、がんばろうと、そう思ってもらわないとなかなか進まないだろう。

  NPOは今つくろうと呼びかけているところだ。そういう先進事例はあるが、法務省の民事局のOBなどがやり始めてくれているが、まだこれからだ。

 
●支援NPOに結集を
  まず、そういう運動を展開する中間支援NPOをつくらなくてはいけないので、いま司法書士会とかいろんな団体に入ってもらって、具体的に進めようと考えている。地域包括支援センターから具体的この人をなんとかならないかというニーズがこれからどんどん出てくるから、それに応じてNPOを設立していく。そういう中間支援NPOが必要だ。

  そういう仕組みで、助け合いでみていかないとほかに救われる方策がないということをわかってほしいですね。

 
(4月25日収録)
(インタビュアー(文責)/ジャーナリスト 大和 修)
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 [日付は更新日]
2006年2月25日 No. 12 ライブドア事件の意味(下) 事件が提起しているもの
2006年2月22日 No. 11 ライブドア事件の意味(上) 事件が提起しているもの
2006年1月24日 No.10 アジアの共助社会に学ぶ
2006年1月15日 No. 9  ロ事件から30年 今の社会 (「No8 年明けに思う」から続く)
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