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定期連載 朝日中学生ウィークリー
更新日:2007年3月13日
人間の行動は決められているの
  試験には、運がつきものですよね。
  いや、人生そのものも、運に左右されます。
  では、運とは、何でしょう。
  ある考え方によると、本人から見れば運であっても、客観的には、そういう事態になることがさまざまな要素から決まっているのだそうです。今度の試験で、A先生が、Xについての試験問題を出したとします。それは、A先生がそう決めたにしても、勝手にそう決めたのでなくて、A先生が過去に培ってきた考え方や、授業中における生徒たちの態度、過去の学校入試の問題の傾向など、さまざまな客観的要素があって、それらからA先生は、必然的にXについての問題を出すように決定づけられていたというのです。
  あなたが生まれてきたのも、あなたがA先生の試験を受けることも、全部、複雑多様な要素から客観的に決められていることだと考えます。これを決定論といいます。
  
  ●●決定論と意思自由論の考え方
  これに対し、意思自由論というのがあります。自然界の出来事はいざ知らず、人間の行動については、人間は自由な意思を持っていて、その都度、主観で決めていると考えます。
  この考え方によると、A先生は、今回Xについての問題を出すことをその時の自由な意思で決めたことになります。あなたの運はA先生の意思にかかっていたというわけです。
  さて、この二つの考え方のどちらが正しいかは、まだ証明されていません。
  決定論によると、殺人を犯すのも客観的に決められていたことで、その人が悪いわけではないということになります。ではなぜ刑務所に入れるかというと、その人に刑務所暮らしをさせ、つらい経験(客観的要素)から、二度と殺人をしないようにするためだということになります。これを教育刑論といいます。
  これに対し、意思自由論からは、その人は殺人をしない意思決定もできたのにあえて殺人をしたのだから、その責任をとらせるために刑務所に入れるということになります。応報刑論です。
 
  ●●刑の本質論につながるなんて
  私は、中学生のころ、受験勉強が嫌になると、人間の行動はすべて決定されているのかどうかと、ぼんやり考えていました。その疑問が、刑の本質論につながるとは夢にも思っていませんでしたが、何であれ、疑問を持って考えることは、思いがけず、あとで役に立つものです。
(朝日中学生ウイークリー/2007年3月4日掲載)
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