「ふれあい・いきがいをケアの体系に組み入れる。」
このことを、本年6月仙台で開いた「ブロック全国協働戦略会議」で提言しました(本誌8月号P5以下)。
「○生きがいや楽しみ、ふれあいは人間の生活において最も主要なもののひとつである。たとえ寝たきりの状態になっても、最後まで必要とされるものであり、非常に個別性が高いものである。
○(前略)特に「サポートさん」(要介護者)の生きがいには支援が必要となる。主には、家族やボランティアが支援を担当し、生きがいとなる活動はケアプランに位置付け、明確に実行できる仕組みとすることが必要である。」
これは、去る9月24日にパブコメのため公開した東京都の報告書案「東京の地域包括ケア」(仮)の中の文章である。不肖座長として3年間の議論を整理した私としては、生きがい・ふれあいを介護サービス等と並ぶ柱として提言している点において、現段階でもっとも進んだ行政関係の報告書だと自負している。
そこで、その仕組みをどうするか。
まず、ケアを受ける人のいきがい・楽しみの内容を明らかにする仕組みをつくる。
将来的には、地域包括支援センターを地域高齢者の情報センターとし、高齢者が元気なうちから、病歴などの身体の状況と、趣味、いきがい、就業歴、特技など精神面に関する状況を、家族、財産関係の概要とともに、情報として集積する仕組みにすることが望ましい。これがあれば、単身となり、認知症になっても、十分なケアができる。ただ、それには、時間がかかるから、そこに至る過程として、いきがいや楽しみに関する情報を地域包括支援センターに集積し、支える人々が共有する仕組みを構築すべきであろう。
本人が何をいきがい、楽しみとするかの情報把握は、関係者全員が自然な方法で入手し、これをケアマネジャーに報告する仕組みにするのがよいと思う。ケアマネジャー自身も、ケアに関する情報を本人などから聞き取る際に、必ずいきがい・楽しみなどの情報を聞くこととする。それには、居宅サービス計画書の項目に、「いきがい・楽しみ」の項目を設けておくことが有効である。
ただ、いきがい・楽しみは個性に応じ多様なうえ、本人が諦めて口にしないのがむしろ普通の状態であるから、ケアマネジャーなどいきがい・楽しみに関わる人は、要介護状態でも実行できる事例を豊富に持っていて、たくみに潜在的欲求を引き出す技術が求められる。どんないきがいや楽しみ方があるかは、利用者を大切にするデイケア経営者や施設長などに知識があるほか、時間通貨の助け合いのメニューなどにも多くのヒントがある。
ケアマネジャーが本人のいきがい・楽しみ情報を集積し、自らも引き出すためのマニュアルを作成することが望まれる。
次に、ケアされる人のいきがい・楽しみを実現するための支援の仕組みを構築しなければならない。
これまではデイケアや施設側で工夫して何人かで楽しめる遊びなどを実施するレベルのものが多かったが、本人の能力を生かすとなると、イベント的なもの以外に、多様な方法を工夫することが必要になる。
それには、地域の元気な高齢者が支援者として多数参加するのが有効である。地域社会で元気な高齢者が自らの能力を生かし、人に役立つ活動は、各種のボランティア団体、NPO団体が実行しているほか、時間通貨や居場所でも行われており、また、非営利・営利の各種の趣味などの団体や行政もこれを主催している。
それらの活動をさらに発展、普及すると共に、あわせて、それらの活動の中にケアされている人々を巻き込んでいけばよい。その場合、要重介護で自宅、施設から出られない人々についても、参加できるやり方を、人に応じて開発していけばよい。
ここは、われらが出番である。私たちの活動を、ケアされる方々に広げていきたい。
そして、地域におけるそれらの活動を、地域包括支援センター、そしてケアマネジャーに情報提供する。それによってケアマネジャーは、いきがい・楽しみを求める本人とそれに合う活動をしている人々とをマッチングできる。また、活動情報をもとにして、本人の潜在的ニーズを引き出すことも可能となる。
これらのことも、ケアマネジャー用マニュアルに記載するとよいであろう。
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仕組みの骨子は以上であるが、これから介護は、滞在型から巡回型に移行することになる(来年の3月には「24時間地域巡回型訪問サービスのあり方検討会」の報告をまとめる予定で作業中である)。
その試行のための予算は来年度分24億に過ぎないが、これが普及していくと、自宅でケアされる要重介護者が、訪問を受けてケアされている時間と、何もしないで居る時間とが、明確に区分される。
この空いている時間を、本人のいきがい・楽しみのためにどのように使うか。これが、尊厳ある暮らしを実現するための重要なテーマとして浮上してくる。
巡回型サービスは、単身・要重介護の人でも、その尊厳保持のため自宅で暮らせるようにすることを目指している。そしてその尊厳が保持されるかどうかは、私たちが、本人のいきがい・楽しみを実現できる態勢をつくれるかどうかにかかってくるのである。
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