1.応援団の結成
震災からの復興は、地域包括ケアのある町を目指そう。
その提言内容は、先月号に書いた。
その提言は、早速厚生労働省関係部局にも提言し、考え方は共有された。
厚生労働省は、仮設住宅の段階でその近くにサポート拠点を設けることとし、ここを、訪問介護や訪問看護、配食サービスなどの拠点とするとともに、仮設住宅や地域に住む高齢者などにこのサービスを届けるという構想を打ち出した(厚労省作成図)。これは、地域包括ケアと、その中核となる、いわゆる24時間巡回サービスにそのままつながる構想であり、ぜひこれを実現させ、地域包括ケアのある町への復興へ結び付けていきたい。
そこで、類似の構想を提言していた方々と復興応援団をつくり、具体的なモデル図を作成して、被災した自治体や被災者の方々と復興の目標を共有する運動を展開することとした。ネットワークの名称は、「地域包括ケアの町への復興応援団」。
復興図(略称 包括マップ)作成にかかわった方々は、
小山 剛さん−長岡で地域包括ケアを実現した先駆者
樋口恵子さん−女性、高齢者の立ち場から仮設にケア・センターの設置などを提言
菅原弘子さん−福祉自治体ユニットの推進者
小川泰子さん−復興にユニバーサル・デザインなどを提言
辻 哲夫さん−復興にケアタウン構想を提言
これまで地域包括ケアの実現に向けて活躍されてきた方々など有識者のご意見をうかがうこととしており、本号発行の頃には強力なメンバーが加わってくださるかと期待している。
(当財団関連HP→http://www.sawayakazaidan.or.jp)
2.実現可能性を探る
地域包括ケアのある町へ復興していくには、国や地方自治体がバックアップし、あるいはリードするだけでは足らず、復興の主体である住民が本気にならなければならない。
そこで、私は、清水、加藤、鶴山、松村(都からの研修生)の4人と共に、4月30日から5月2日まで、被災地をまわって、反応を探った。
その状況は、4人の報告(本誌P7からP15)をご覧いただきたいが、一言でいえば、反応は予想以上で、住みよい町に復興したいとの強い気持ちがひしひしと伝わってきた。
宮城県は、担当者が提言を理解し、共鳴してくれていた。そして、県の目指す復興の姿は、地域包括ケアがあり、住民の支え合いのある町であると明記してくれた。
大船渡市の戸田市長も登米市の布施市長も「大きな施設をつくるのではなく、高齢者が高齢者に向いた家に住み、介護や看護や食事など、必要なサービスは、拠点から届ける町にする。そこに雇用もつくる。また、子どもを含めた交流の居場所もあちこちにつくる」という、地域包括ケアの骨格をすんなりと受け止めてくれた。
驚いたのは、避難所のリーダーたちの理解の早さである。3分ほどの説明ですぐに共鳴してくれ、仲間に諮ると言ってくれた。
もちろん、どこでもすんなり理解されるとは限らないし、実現への障害は山ほどあるであろうが、目指す方向は、住民がしっかり受け止めてくれることを確信した。
3.これからの働きかけ
復興への動きは、宮城県が進んでいるので、ここでモデルをつくりながら、岩手県でも展開していくことにしている。6月初めに岩手県を訪問する予定なので、本誌発行時には、岩手県での展開も少しは開けているだろう。福島県は、原発問題が進行中なので、まだ動きが出ていない。
また、仮設住宅に併せてつくるサポート拠点をバックアップするセンターをつくる考えについて、宮城県も共鳴してくれている。実際に設置されれば、志あるインストラクターの力を借りながら、ここを拠点にしてサポート拠点の設営、運用を財団としても支援するとともに、地域包括ケアのある町への復興を支援していきたいと考えている。
広い被災地に、日本全国がうらやましがるような最高の町が実現するよう、しっかり、じっくり、腰を据えて取り組みます。
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