更新日:2012年4月11日
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全国体制で福島避難者支援
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「地域包括ケアの町」への復興応援について、政府部内に通したうえ、被災地への働きかけを始めたのは、昨年の5月初めであった。しかし、福島には、働きかけられなかった。元の町に帰れるかどうかがわからなかったからである。
しかし、それが判明する時に備え、元の住居地ごとに、避難者のネットワークをつくることが必要と考え、6月、まず東京都への避難者について、支援活動に取りかかった。
そのネットワークは、1月もかからないうちに形をつくり始めるはずであった。福島県またはその被災市町村、あるいは東京都が、原発避難者の避難先住所と氏名さえ教えてくれれば。
しかし、その入口で、びしっと門は閉じられた。個人情報保護法の壁である。
そのために、担当職員(東京都からの研修派遣生)の松村英二さんらが大変な苦労をした。にもかかわらず、1年経って福島県原発避難者のネットワーク同行会参加者がやっと500人を超える段階に達したに止まっている。その経過は、これまでの本誌で報告しているとおりである。
個人情報保護法の壁をどう破るかについては、3月19日の政府の復興推進委員会で訴え、3月25日当財団主催のパネルでも問題提起して、5月号でご報告する。
しかし、私たちはそれを待っておれない。故郷に帰れるかどうかの判断の作業も、実にのろいながらも、少しずつ進みつつある。
そこで、去る2月22日、インストラクターの全国会議の合間を縫って、夜に開いた東日本大震災被災地支援「重点地域情報交換会議」で、対応策を協議した(本誌6頁参照)。
この4月から、当財団(大畠政義職員も担当)と協働して福島県県外避難者支援プログラム「つながろう 福島」を推進する北関東ブロック(連絡責任者・井上謙一インストラクター)と協議の上、最初の段階として、避難者のおられる道府県において、福島県からの避難者のネットワークをつくってくれるよう、全インストラクターに呼びかけた。対象は、福島県からの原発避難者が主体になるが、それ以外の大震災避難者が含まれても構わない。ネットワークの目的には、避難先における避難者同士のふれあい、助け合いや、避難先地元住民とのふれあい、助け合いの推進も含まれるからである。
ネットワークの形成は、他に同種のボランティア活動をしている団体があれば協力し合うこととするし、仕掛けは私たちがするにしても、いずれは避難者主体の運動にしていくということも、これまでの東京都における運動と同じである。
頼もしいことに、函館の丸藤競インストラクターや三重の國廣真夕美インストラクターなど、すでに地元で同じ活動をしてきた人たちが積極的に手を挙げてくれたし、他にも参加の意向を見せている人は少なくない。
この運動は、津波被災者への支援活動以上に息の長いものになるであろうが、最終の目的は避難者が平常の暮らしに戻ることであり、少しでも早く、戻る希望を持って前向きに努力する状態に進んでもらうことである。
そのために、何年かのうちに戻れる地域の方々には、地域ごとにネットワークを組んで、今岩手や宮城などでやっている「地域包括ケアの町」への復興を協議し、実現に向けて努力するところまで推し進めたいと考えている。
では、戻ることができない、あるいは難しい避難者についてはどうするのか。
もちろん、彼らにも、夢が必要である。国は、彼らのために、なるべく仲間同士一緒に移住できる地域を用意する責務がある。全国には、居住者の減少に頭を悩ましている地域は、数多くある。第1次産業や介護その他人を直接の対象とする仕事などは、人が足りずに困っている状態にある地域である。そういう地域では、住宅が余っていることも多い。
ここは国(政府)の主導で、そういう地域を持つ自治体に手を挙げてもらい、戻れない避難者たち(絆のあるグループ)とのマッチングをしてはどうか。移住が決まれば、国、自治体、事業者、住民が協力して移住環境の整備をし、受け入れ先、移住者ともにより幸せになってほしいと思う。
この提案も、復興推進委員会で強力に行うが、インストラクターも、地元の自治体が受け入れに適していれば、これに働きかけてほしい。
すでに、新潟はこの方向で動き出した。
やれば、できることなのである。 |
(『さぁ、言おう』2012年4月号)
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