更新日:2013年5月22日
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介護保険と池田省三氏
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去る4月23日、66歳で龍谷大名誉教授の池田省三氏が亡くなった。福祉の分野で介護保険の父として広く知られてはいるが、その功績は、はるかに福祉の分野を超えており、戦後史に大きく名を留めるべき民間人だと評価している。
彼の功績は、国民を依存させる行政サービスを、国民の自立を支えるサービスに変えるモデルを創ったところにある。
行政サービスは福祉国家に不可欠である。しかしその一方で、たとえば生活費などを支給される障がい者や高齢者、生活困窮者などが、「貰うのは当たり前」という感覚になって、自分でできる努力もしなくなり、依存症になってしまうリスクがある。サービスの提供も同じで、たとえば介護サービスを受け出すと「やってもらう方が楽」という姿勢になり、自ら寝たきりコースに進む人が出てくる。行政の方も、支給したお金やサービスによって本人を自立させる手間を惜しんで、やりっ放しになりがちである。
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1990代、当時の厚生省を中心に、介護保険制度を創るほかないという動きになってきた時、行政サービスの持つリスクを排除し、自立を支援するサービスとして介護保険制度を組み立てようということを、データを揃えて理論的に主張し、きわめて強い説得力を発揮したのが池田氏であった。自治労で社会保障を担当し、地方自治総合研究所の幹部になっていた人が、「何でも政府がやれ」というのとは正反対の主張をするものだから、いたく共感したものである。
「寝たきり介護」の変革を訴える大熊由紀子さんや、自立の樋口恵子さんら強力な女性陣の声と、当時特に優れた人材が揃っていた厚生省担当者のリーダーシップが、健全な市民や行政マンの目を覚まさせ、結構渋い顔の男性国会議員が多い中、池田氏の理念を姿にした介護保険制度が成立、2000年から施行された。
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介護サービスの対象者を、困窮者限定で行政が選んで保護していたのを、介護を必要とする者すべてに広げ、しかも彼らが必要なサービスを選べるようにした。今では当然のように思っている市民が多いが、自分たちがサービスを選べるということは、大変な転換である。介護者は、利用者の自己決定を重んじ、彼らが尊厳をもって可能な限り自立して生きていこうという意思を、尊重しなければならない。そういう介護に変わっていった。自己負担金1割という原則は、利用者の自己責任感による自立の意思を支え、依存症になるのを防ぐために設けられている。
市町村が保険運営の責任者となり、保険料の額と給付の内容を決定できることとされたのも、市民が参加する生きた決定にするためである。地方自治のモデルである。
介護保険制度はその後も進化を続け、最期まで自宅で暮らすという市民の究極の望みを実現するに至っている。これらの進化を池田氏はずっとリードしてきた。
あとは、柔軟な支え合いの仕組みを組み入れ、生涯安心して暮らせる一貫した包括的ケアを、地域の実情に応じて創ることである。彼は、これを「ローカルオプティマム」(地域ごとの最適状態)と呼び、宿題とした。私たちがこれに挑戦するのを見守っていてほしい。 |
(信濃毎日「月曜評論」 2013.4.29掲載)
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