更新日:2008年3月28日 |
まず、認知症から |
|
認知症の本人たちが、語りはじめた。
「私は、すごく不安です。誰もが覚えているような、自分の親の名前とか職業が思い出せない。そのうち、自分が誰なのか、自分がどこに帰ればいいのか、それもわからなくなるのではないか。そう思うと、恐ろしくて、どうすればいいかわからない」
そういう、認知症の人たちの不安が、私たちに伝わるようになった。メッセージを最初に発したのは、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどの社会的地位の高い人たちであったが、最近は日本のごく普通の経歴の人たちが、堂々と人々に語るようになった。
認知症は誰もがなる可能性のある病気で、恥じることではないという理解が、急激に広まったおかげである。
3年前スタートした「認知症になっても安心して暮らせる町づくり100人会議」の議長を仰せつかり、認知症サポーター百万人の運動も進めている者としては、わずか3年で認知症のサポーターが36万人を超えたことが、うれしくてならない。
去る3月1日、同会議などが主催する第4回会議を開いた。そこでは、本人たちもその思いを話し、また、さまざまな支援活動が披露され、熱い共感が会場を覆った。締めのあいさつで、私は語りかけた。
「今日、認知症の本人たちは『認知症といっても、みんな違うことをわかってほしい』と訴えました。実は、この訴えは、画一的な詰め込み教育に押しひしがれている子どもたちの訴えであり、また、雇う側の都合でしか使ってもらえない働く人々の訴えでもあります。みんな違う認知症の人々をそれぞれ支えることは、すべての人々の違いを認める、あたたかい社会をつくることのさきがけとなるのです」
降壇した私に、実行委員長の医師、長谷川和夫先生がしみじみと言った。「私たちの運動は、日本中を幸せにすることになるのですね」 |
(京都新聞コラム「暖流」2008年3月16日掲載) |
|