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提言 福祉・NPO・ボランティア
更新日:2009年7月8日
「現場で働いて見えてくること」
 ―本岡類 『介護現場は、なぜ辛いのか 特養老人ホームの終わらない日常』
 私も、一度、介護の現場で働いてみたいと思ってきた。高齢者を支える仕組みを提言するため、いろいろな現場を見てきたが、外から来て見聞きするのと、中に入って体験するのとでは、体感温度に大きな差があるだろう。
 それを実行したのが50代後半の“オッサン”筆者である。彼は母の介護をするうち、2005年の介護保険制度見直しの結果、ヘルパーに余裕がなくなったと実感した。そこでその原因を探るため、ヘルパー2級の資格を取って、首都圏のごく平均的な特別養護老人ホームの非常勤ヘルパーに就業したのである。
 日々の新たな発見と驚きを素直に綴る著者の文章の読みやすさに引き込まれ、いつの間にか著者と同じ目線で上司や同僚を見、入居者に接していた。
 年下の上司や同僚のヘルパーからは厳しい注意も受け、「すみません」の連発であったが、仕事熱心な人たちだから、人間としては許容できる範囲内であった。心で入居者を動かす、尊敬できる上司もいた。
 入居者は、まず名前を覚えるのに苦労した。扱いにくい人から覚えていった。気分がアッという間に変わる人が多い。人を困らせるのが天性のような人もいる。排泄が難しくて、ヘルパー同士の押し付け合いになる人もいるし、一人食堂に残っていつまでも口に入れた食べ物を飲み込まない人もいる。
 まったく無表情でコミュニケーションのとれない人は、世話をするのが空しくなり、「何のための介護だろう」と悩む。
 一方で、心優しく物わかりのいいおばあさんもいれば、難しい医学書に取り組む高齢者もいる。著者は、時に叱られたり注意されたりしながらも、つとめて入居者と話し、その望みを満たそうとする。
 入居者の心情に沿おうとすると、いろいろな問題点が見えてくる。
 なぜ入居者を戸外に出さないのか。認知症の人の危険防止というが、認知症でない人もたくさんいる。いつも窓の外を見ている人もいて、たまりかねた著者は、幹部たちに戸外散歩の許可を申し入れるが、言葉がかみ合わない。
 大事に至る危険も少なくない。マニュアルがなく、ルールの伝達も不十分だから、連携作業がうまくいかない。職員の記憶に頼る配膳は、現に、ミスが生じている。人によって薬が異なり、食事内容も異なるから、危険なミスである。
 そのあたりは施設側の工夫で改善できるのであろうが、最大の問題は、ヘルパーが足りないことである。仕事は楽しいという正職員の二宮さんは、「月に5回夜勤をやるようになって手取りが13万円になりました。でもボーナスはないんです」と言う。夜勤があれば17時間ぶっ続けの勤務。そんな激務をこなし、心身をすり減らしても、将来の希望がない。4連休などあり得ないという職場で、未来に光がなければ、どれだけ人に役立つ喜びがあっても、勤務を続けるのには耐え切れない。毎年4人に1人が力尽きて辞めていく職場で、残った職員は余裕どころか、こなしたい仕事もこなせず、ストレスの塊になる。それでは、入居者の心に寄り添うなどという介護は、夢のまた夢である。現に著者は、鉛筆を削ってあげるという、普通はヘルパーさんにして貰えないサービスをしただけで、何度も何度も礼を言われている。尊厳ある暮らしは、どこにいったのだろう。
 では、私たちの人生の最後に、夢はないのか。
 著者は、「当たり前のことを当たり前にやればよい」と答える。そして、当たり前のことをやれるようにするには、財源が必要だという。
 そう、ほとんどの問題は、人の投入、つまり、人が普通に働けるようにするためのお金の投入によって解決する。それは、介護保険料を払うみんなの問題である。
 本書は、自分と家族の人生の最後を幸せにしたいと願う人はもちろんのこと、人々を幸せにすることを職業とする政治家と行政官のすべてに熟読して貰いたいと思った。
(新潮社PR誌「波」2009年6月号掲載)
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2009年7月1日 中山道540キロを歩く
2008年11月20日 金融危機と福祉
2008年8月27日 働き方を選べる社会
2008年7月6日 ヘルパーさんの給与
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