更新日:2013年4月3日 |
心を支える |
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東北の被災地で3日間のボランティアを終えた高校生たちに感想を聞いた。
「何だか、切ないです。帰るのが、辛い」
まだ残るガレキに心が痛む。家を失いながらも笑顔で迎えてくれた同年齢の仲間たちには逆に励まされた。高校生たちは、
「自分がすごく変わったのが、自分でわかる」
「何か、急に大人になったみたい」
と、その成長ぶりを自覚している。
「いちばん印象に残ったのは?」
じっと考え込んでいた女子生徒がぽつりと言った。
「遺体の話」
ドキッとする。遺体の話はマスコミも封印している。被災地の大人たちも語らない。
しかし、忘れられるはずがない。
「もう、人かどうかもわからない遺体もあったと言ってました」
現地の子どもたちは、そういう遺体を、きっといくつも見ているのだ。めったに話はしないけれども。
「話してくれた子の気持ちを思うと、何とも言えません」
遺体を直視した小さな胸は、理不尽な死という重い事実を、どう受け止めているのだろうか。それとも、受け止めかねて記憶の底に閉じ込めているのだろうか。その重さを、いつか、誰かが、共に担い、受け止める日は来るのだろうか。
そういう思いで、被災地の子どもたちを見ると、そのけながさが何ともいじらしい。
被災地には、カウンセラーも入ってくれるているし、子どもたちの学びを支えるNPOも活動を続けている。あしなが育英会がつくる遺児が集うレインボーハウスも、4カ所で建設が進みつつある。
理不尽な死という重みをかかえる子どもたちの心をいやすのは、愛しかないであろう。人々の豊かな愛に包まれ、生きることの温かさを実感できた時、子どもたちの体験は、生命の尊さを思う糧となっていくのではなかろうか。 |
(京都新聞「暖流」 2013.2.17掲載) |
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