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更新日:2013年4月17日
認知症者の処遇
 認知症のおばあさんの手を、一生懸命マッサージしている人がいた。70歳前後の女性である。
 手を預けて、おばあさんは気持ちよさそう。2人とも何も話さず、静かに時間が流れている。あるデイケアでの風景である。
 そのうち、おばあさんは尿意をもよおしたらしく、ゆっくり立ち上がる。女性はおばあさんが自分の力で立ち上がるのを見守っていたが、歩き出そうとするおばあさんの足取りが定まらない。すると女性がさり気なくおばあさんの腕に手を添えて支える。おばあさんは、手を借りながらも、自分の力でトイレの方へ歩いて行く。
 おばあさんの歩く力を殺さない女性の介助ぶりが見事なので、私は施設長に「さすがプロですね。必要最小限の介助にとどめていますね」とほめたら、施設長の返事が意外であった。
 「あの方は利用者で、認知症なんですよ」
 認知症の人が健常者並みの能力を発揮する場面には慣れているが、この方の介助ぶりはプロの平均を超えているのではないか。
 施設長に聞くと、その方は認知症で徘徊癖があり、昼間一人で家にいるのは無理だというので、デイケアに連れて来られたのだという。しかし、本人は認知症という認識はなく、そこへ手伝いに来たと思っていて、だからいろいろ手伝ってくれるし、それが性に合っているのか飲み込みが早い。職員として働いているという意識なので、施設長もそれを尊重して、出勤簿もつけてもらい、来る時間、帰る時間も職員に合わせた。本人はずっとそれを守って(というか、職員の意識だから、守るのは当たり前で)、職員がやる雑務もやるのだそうである。
 だから、外の者が見ると職員にしか見えない。外の者どころかほかの認知症の人たちも、職員と思い込んで世話になっている。
 どこが認知症なのかわからない普通のふるまいができる処遇。それこそが認知症ケアの神髄なのだと思う。
(京都新聞「暖流」2013.4.14掲載)
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 [日付は更新日]
2013年 4月17日 子ども・子育て会議
2013年 4月 3日 心を支える
2013年 1月10日 札幌の地域ケアネット
2012年12月12日 生活保護と尊厳
2012年 9月20日 一緒にいる福祉
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