更新日:2010年7月9日 |
弘さんのお母さん |
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西陣で織物業をしておられた伊藤弘さんのお母さんの話である。
織物をしていると、ちょっとした事故で経糸(細い絹糸)が切れることがある。切れた糸に別の糸をつなぎ、小さな穴に通すという根気のいる修復作業が要る。
この作業を担当していたお母さんが、80歳代の半ばを過ぎたころ、「私も駄目になった。メガネをかけても糸がよく見えないの」とおっしゃるようになった。
それでもお母さんは、昔取った杵柄(きねづか)で、何とか作業をこなしておられたが、90歳になられる少し前のこと、弘さんがふと気付くと、お母さんがメガネをかけずに作業をしておられるのである。
弘さんは、「はて、人間は年をとると、視力がよくなることもあるのかな」と思ったそうだが、別に視力検査で確認したわけではない。お母さんのそういう状態は90を少し超えるまで続き、あとは自然に老いられて100歳で亡くなられたという。
私が5月23日掲載の本欄で、90歳前後で若返った方の話をお願いしたのに応じて寄せていただいた話である。
綴喜郡の奥村由香さんは、私のコラムを読み、「え、これはまさに我が家の祖母たか(99歳)のことだわ」と思われたそうである。
真っ白だった髪が黒くなってきているので、おばさんたちと「不思議やなぁ」と話しているという。骨折してもぼけることもなくリハビリに励み、歩いて退院して来られたという。
大津市の筒井かず美さんの、87歳で気力を取り戻されたお義母さんの話など、教えて下さったお話を韓国の李教授に送った。「しっかり研究をまとめます」と張切っていた。
弘さんのお母さんは、70歳代の半ばころ、病をいやして退院された後、「このまま死ぬのを待つのは嫌」といって織物の仕事をやり始め、仕事をしながら体力を取り戻されたそうである。いくつになっても気力が大切なのだろう。
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(京都新聞コラム「暖流」2010年6月27日掲載) |
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