親父の徹底した生前整理
親父の生前整理ぶりには驚いた。
自分の戒名を自分で決めたのもどうかと思うが、まだ元気に生きているお袋の戒名も勝手に決めて、自分のと並べて位牌に彫らせたのである。
どちらも九文字で、ちゃっかり自分と母の生前の名をそれぞれ五文字目と六文字目に使い、寄り添う感じにしている。そして自分は「禅定門」、お袋は「禅定尼」である。よく知らないが、あとで聞くと、よくある「居士」とか「大姉」より位が上なのだそうな。そういう戒名をつけてもらうには、お寺さんに半端でない額のお礼を払わなくてはならないとか。
これもあとでお袋に「親父はこんな勝手なことをしてお寺さんは怒ってたでしょう」と聞くと、「いや、お父ちゃんは事前に和尚さんにことわりに行かはったけど、和尚さんは『堀田はんのこっちゃし、しょうおへんわなぁ』言うてはったそうや」という答。
「それでお礼は?」
「一銭も払(はろ)てはらへん」。
道理で、和尚さんは父の戒名の中の名前の部分をぞんざいに読むのかも知れない。
父は82歳、癌で死んだが、何カ月か前に死期を悟ったのであろう、まず自分の持ち物を見事に整理した。といっても大した物は持っておらず、おおかたは本である。英語教師本業の難しい本は全部売って、あとにやわらかい本ばかり残したから、息子の能力を評価していないことは間違いない。
心だけは整理ずみ
家系図と親戚関係もしっかり系図にしてくれた。京都に移り住んで私で十代目、「堺屋利兵衛」の屋号で酒造りを営んできたそうだが、祖父が中年になって祇園の芸者に入れあげ、スッテンテンになってしまった。恥ずかしい家系だから家族はその話題を避けてきたが、親父が整理して遺した資料からわかったのは、曾祖父が町人ながら名字帯刀を許されて、明治天皇のご遷都の際、京都から江戸まで随行したということである。けっこうあちこちの神社仏閣に寄付していた記録もあって、少しはご先祖を見直した。そういう記録を遺すのも大切なことかも知れない。
ここまで親父のことばかり書いてきたが、私自身は何もしていない。「自分のことは自分でやる」というと、かっこいいようであるが実は無責任な方針でやってきて、それが家族にも浸透しているから、期待もされていない。
ただお葬式のやり方は10年以上前に決めて広く伝達している。日本海に散骨するということである。しかし肝心の妻は、「私は親族だけで密葬するから、あとどうされるかは法律事務所や財団の皆さんにお任せするわ」と宣言しており、私の意向など完全に無視している。これでは整理のしがいがないではないか。ということで、当分、整理はしないと予測される。
整理ずみなのは、私の心だけである。「日々悔いなく生きる」という整理である。
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