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提言 生き方・その他
更新日:2010年9月9日
ストレス歓迎
 2度、ストレスで胃をやられた。
 最初は32歳、大阪地検検事時代である。租税・経済事件専門の裁判部を担当するほか、特命で、当時大阪地裁に係属していた公安事件の裁判のすべてに立ち合っていた。当時大阪地裁の公安事件の裁判は大荒れで、弁護人らは裁判長の指揮に従わず、立ち合いの検事もなす術(すべ)がなかった。業を煮やした長谷部副部長はベテラン検事たちから公安事件立ち合いの仕事を取り上げ、若手の私と若林両検事を従えて自ら各裁判部の公安事件に立ち合ったのである。
 それらの事件には何十名もの血気盛んな弁護人らが立ち合い、法律論争から証拠調べへの異議など、あらゆる法廷闘争を仕掛けてくる。それにすかさず応戦しながら、こちらも積極的に異議を連発する。戦う検察への変身である。
 ところが裁判所が生ぬるい。「もっとピリッと法律どおり仕切らんかい!」と腹の中に積もりに積もったストレスが、32歳の正月3日朝、宿直明けで宿舎に帰る途中、胃に来たのである。相当出血していたのであろう、私は京阪電車枚方駅のブリッジで吐血し、失神した。
 枚方病院に入院し、スイス製とかいう当時は新しかった緑色の薬を飲みながら、1週間完全に飲まず食わずの内科療法で治してもらった。出勤した日、同僚検事らが開いてくれた退院祝いで、私一人一滴も酒を飲めなかったのが、入院時の空腹よりもつらかった。
 2度目は45歳、東京地検特捜部でロッキード事件の裁判に立ち合っていたときである。10名を超える弁護人らの日程調整が大変で、アメリカからも注目されている裁判なのに、審理は遅々として進まない。これでは日本の裁判の恥を世界にさらすことになる。そのイライラが、胃に来た。ストレスによる胃液の出過ぎで胃がやられ、今まで1日80本吸っていた煙草が夏頃から吸えなくなった。イライラするとすぐピースに火をつけるが、舌にニコチンがたまって黄色くなり、吐き気がする。肉も受けつけなくなり、お粥がやっと喉を通るという状態で、それでも12月、その年の裁判日程が終わるまで元気いっぱいのふりで裁判に立ち合った。弁護人には絶対に弱味を見せたくないからである。
 マスコミにも追われる日々だから極秘に東京は湯島の日立病院に入院し、直ちに手術してもらった。胃を切除するのではなく、胃の神経を切除する手術である。胃酸の出過ぎを抑制するために行なう、十二指腸潰瘍に対する迷走神経切離術といわれ、当時は最新の技術とかで東大から専門の教授が来てくださって神経を切り取った。おかげで胃は鈍感になり、強いストレスもさほど胃に伝わらなくなった。
 翌1月、冒頭から素知らぬ顔でロッキード裁判に立ち合い、裁判が続く間は快適だった。しかし、終わってからは強いストレスがなくなり、胃液の出が悪くなった。消化力が落ちて、胃が重苦しい。
 以降、なるべくストレスを感じるため、難しい事に挑戦するよう心掛けている。
(「ALPHA CLUB」第338号 2010年8月15日発行・掲載)
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