更新日:2010年7月22日 |
「自分」を持って生きる |
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その人が「自分」を持って生きているかどうかは、退職した時にわかる。
「自分」を持っていない人は、何をして生きたいかがわからない。「ぬれ落ち葉」「粗大生ゴミ」「産業廃棄物」の人生をたどる。産業廃棄物が居間に大きい顔をして居座ったままだと、奥様の方がウツになる。
「自分」を持っている人は、退職後も忙しい。したいこと、学びたいことがいっぱいあるからじっとしていない。いきいきと飛び回っている。奥様を誘って一緒に楽しむことも多い。奥様の方も好きな生き方をしている。
「自分」を持っていない人は、仕事ができない。言われたことを言われた通りに頑張ってやるという生き方しかできないから、突発事態に対応できない。この変化の時代、大小を問わず突発事態が発生するから、しょっちゅう立ちすくんでいる。そうなるのが恐いから、リスクの伴いそうな仕事からは極力逃げようとする。これでは役に立たない。いくら上司に従順でも、幹部になるのはムリである。彼の関心は、出世と昇給であり、このにせものの(つまり、他人任せの)いきがいを本物のいきがいと勘違いして仕事に励んでいるが、激動の時代、結果はほぼ間違いなく不満足に終わる。そして、ウツウツたる不満を内に秘め、仏頂面で定年を迎える。その先が産業廃棄物である。
「自分」を持っている人は、自分に合う仕事を見つけ、意欲的に仕事をこなす。「自分」といってもそれほど特別なものではないから、仕事のやり方を工夫すれば、大方の仕事は自分に合うようになる。工夫するところが特徴で、だから突発事態にも対応できるし、リスクから逃げない。関心は、仕事の成功と、それによりどれだけ人に役だったか、また、自分の能力をどれだけ生かしたかにある。たとえ上司が評価してくれなくても、めげない。できない上司には生意気で煙たい奴だが、時に抜擢されて上司が追い抜かれることもあるから、好きにやらせておく方がよい。それでご本人はハッピーで、張り切ったまま第二の人生に進んでいく。
「自分」を持っていない人の子どもは、不幸である。世間体を大切にするから、偏差値絶対で進学コースへ駆り立てられる。頑張って世評の高い大学は出たものの、「自分」がなくて無気力である。頑張り切れなかった時は、切れて非行に走るか生きる力を失って不登校になるコースに落ちる。
「自分」を持っている人の子どもは、「自分」を認められて育つ。どんな生き方を選ぶか未知の魅力と恐れとを抱えているが、どう進んでも自分で責任を取り、自分の生き方を拓いていく人に育っていく。
「自分」を持っていない人は、次世代にも未来にも関心がなく、責任感もない。自分をとりまく狭い世間にしか関心がなく、人(年老いた親から政治家まで)が自分にどれだけよくしてくれるかだけを期待している。ほとんどの場合、期待は裏切られる。
「自分」を持っている人は、自分を大切にするから、他人も、次世代も、未来も大切にする。自分の幸せを求めて努力するし、自分が属する広い地球や未来がよりよいものになってほしいと願い、行動する。そして悔いなく人生を閉じる。
では、どのようにして「自分」を持つか。
自分を見つめ、自分の思いを大切にすることから始めるほかないであろう。
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(「生産性新聞」2010年6月25日掲載) |
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