昔、選挙 違反で調べて起訴した男が、今やっているボランティア活動の事務所を訪ねてきた。応援したいのだという。
自然に昔の事件の話になった。
「あの時の堀田さんの言葉が忘れられない」という。私には、記憶がない。憶えているのは、彼が警察では頑強に否認していた人物だったということくらいである。
「私は、検察庁に送られたらどうなるかと、ビクビクしてたんですよ。
そしたら、堀田さんは『苦労したでしょ』といってくれたんですね」
その言葉で、ジーンときてしまって、彼は自白してしまったのだそうだ。
その言葉は、平凡な言葉である。
しかし、彼は、
「この検事は、私を一人の人間として認めてくれていると感じたんですね。だから、しゃべっても、わかってもらえると思いました」という。
その時の私の気持ちが通じる言葉だったのであろう。
検事の仕事は、真実を明らかにすることである。そのためにやることの中でいちばん難しいのは、被疑者から事実を聴き出すことである。汚職や選挙違反の被疑者は、しばしば命がけで、事実を隠す。事実を言わざるを得ないところまで追い込むと、自殺する人も出て来る。ここに挙げた例など、まだまだ穏やかな例である。
被疑者の厳しい心の壁を破って、事実を語らせる言葉は何であろうか。
先輩からは、「心の琴線を鳴らせ」と教えられた。
しかし、琴線の在り処は、人それぞれに異なる。
唯一いえるのは、ほんとうの言葉でないと、琴線は鳴らないということであろう。
ほんとうの言葉は、ほんとうの誠意からしか出てこない。
一方、検事をしていると、うその言葉には毎日といっていいくらい出会う。その中でも往生するのは、本物の詐欺師の言葉である。
普通の詐欺師は、うそつきであって、うそをついていることを自覚している。だから、それがうそであることの証拠を突き付けると、よほどの事情がない限り、認める。それでも未練たらたらで、細かいところでいっぱいうそをつくが、たいていはすぐばれるうそである。それに、少しはこちらが騙されるところもあったほうが、本人が立ち直るのに役立つ。ぎりぎりと絞り上げて素裸にしてしまうと、ヤケになって居直るおそれがある。
これに対して、本物の詐欺師は、うそつきではあるが、うそをついていることを自覚していない。それどころか、ほんとうのことをしゃべっているのだと思っている。
だから、それがうそであることの証拠を突き付けると、けげんな顔をして(こちらから見れば、ケロッとした顔で)、
「あ、じゃ間違いですね。思い違いです。どうだったのかなあ」などと真剣に考え(こちらから見ればトボケタ振りで)、
「ああ、そうだったんだ」などと、突き付けた証拠につじつまの合う話をする。
その繰り返しである。
いい加減な話をくつがえす証拠を根気よく集めて、とんでもないうそをついている言葉も丁寧に調書に残しておかないといけない。法廷でまた新しいうそをついた時のためである。
厄介なのは、彼(または彼女)が、ほんとうの言葉だと信じて語っていることである。優れた役者と同じである。だから言葉は、ほんとうの言葉と同じ迫力を持つ。
結婚詐欺師に、賢い女性が長期にわたって騙されるのは、そのせいであろう。
そういう人物は、まず、立ち直ることはない。
ご用心、ご用心。
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