更新日:2011年7月28日
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死ぬまでおつきあい |
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被災地の復興計画が進まない。
大震災発生の日から四十九日が過ぎた5月初めには、気持ちを前に切り替え、みんなでどんな暮らしを築いていくのか、進む方向を考え始めていたかった。いまだに行く先が見えていないから、元気が出て来ない。
私は、「地域包括ケアの町への復興を目指そう」と呼びかけているが、新しい町をつくる場所も決まっていないから、被災者たちも夢を持てない。
と言って、何もしないで待つわけにはいかない。地域包括ケアの町は、日本中が目指す町であるが、簡単に築ける町ではないからである。
どんな状態になっても、最後まで自宅で暮らせる町というのが、出来上がりの図である。それを可能にするために、24時間いつでも必要な時に、ヘルパーや看護師、医師が自宅を訪問する態勢を整える。
しかし、その実現も、容易ではないうえに、それが実現しただけでは、夢はかなわない。ほとんど身動きも出来ず、たった一人家で過ごすのは、淋しくてならないからである。
ヘルパーさんなどが用事を終えて帰ったあとも、誰か気楽に話ができ、ものを頼める人がいて欲しい。家族の人がいれば申し分ないであろうが、たとえ家族と死に別れたあとであっても、ご近所の知り合いや同じ市内に住む友人などが、ちょくちょく顔を出して一緒に時を過ごしてほしいのである。
そういうふれあいの活動をしているのが、全国にたくさんいるボランティアの仲間たちである。彼女ら、彼らは、自宅で一人ほとんど寝たきりになった歌好きの仲間のところへ、小さなカラオケの道具を持ち込んで好きな歌を歌ってもらったり、寝たきりの人の得意な編み物を教えてもらいに行ったりしている。子ども好きの人には子どもたちを連れて行く。亡くなる3日前まで、子どもたちのお相手をしていた人もいるという。
そういうおつきあいを全国に張り巡らせたいのである。 |
(京都新聞「暖流」2011年7月17日掲載)
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