更新日:2009年8月12日 |
原点に戻る |
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指名手配した犯人の特徴として「食事の前に手を合わせて頭を下げる癖がある」と書いてあった。その犯人は、そういう癖から足がつき逮捕された。
私は、その犯人が食事の前に、ご飯やおかずをつくってくれた農家の方などに感謝していたとは思えない。手を合わせるのは、幼いころに親から仕込まれた習慣にすぎないのだろう。しかし、幼いころに植え付けられた習慣は強い。いくつになっても抜けないのである。そういう習慣は、親がいつもやっていたから自然に身に付いたのであろう。
動物の教育を見ていると、餌の捕り方、獲物の仕留め方は、親がやって見せるのを、子が同じように真似て学習している。始めはなかなかうまくいかず、失敗することもあるが、親は応援したり、子に代わって獲物を取ってやったりはしない。知らん顔である。失敗から学ぶのは子の知恵であって、子は体験を通じて、自発的に知識や技能を身に付けていくのである。失敗して子がお腹を空かせていても、親は自分が取った獲物を子に分けてはやらない。子は食べたければ自分で努力するしかない。ここが、自立への教育で肝要なところである。
そして、子の身体が大人になり、たとえば羽根が生え変わったり牙や鬣(たてがみ)が生え揃ったりすると、親は子に対する養育を完全に止めて、子を独立させる。人間でいえば思春期を経過したころであろうか。実際、人間でも近代社会に入る以前は、この年代の子どもたちは自立していた。女の子は、生理が始まれば嫁に出されたし、男の子は毛が生え揃えば元服した。
そんなに早く自立できたのは、世の中が単純であったせいもあるが、幼いころから親の見様見真似で生業(なりわい)を立てる知恵や技術を身に付けていたからであろう。
現代は、科学技術が信じられないほどの進歩を遂げ、社会も格段に複雑になっており、子どもたちが学ぶべき知識の量は、一昔前とは比較にならない。身体的に大人になっても、親の脛をかじって通学するのが当たり前になったのはそのせいである。しかし、自立して生きるべき人間としての精神的成長まで遅くなる理由はない。大人を真似て、自立するための体験を積み、自分でできることは自分でする。その中で、生きていく心構えを体得する。そのように、人間としての成長については、動物の子育てや昔の子育てに学び、原点に帰る必要があるのではなかろうか。
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(千葉県総合教育センター発行「千葉教育」No.583/7・8月号掲載) |
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