更新日:2008年4月30日 |
法律家は、まだまだ足りない
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法曹界では、年間3千人合格の目標をトーンダウンさせる動きが高まっている。特に弁護士の間でその勢いが強いことが、今回の日本弁護士連合会会長選挙で示された。
またぞろ、法曹エゴかと思う。
法曹人口の在り方は、医師人口の在り方と同じく、もっぱら国民すべてのニーズを満たしているかどうかという視点から決めなくてはならない。なぜなら、医師が国民の身体面での生存権を保障する業務の基本部分を独占しているように、法曹は、国民の権利を守るという、精神面の生存権を保障する業務の基本部分を独占しているからである。
生存権にかかわる業務は、足りていることが問題なのではない。仮にかなりの地域、かなりの領域で余っていようとも、一部の地域、一部の領域でなお足りないのであれば、そこで足りるまで、対策を採り続けなければならない。文化国家として、当然のことである。
その視点からみれば、法曹のサービスはまだ決定的に足りない。地方の中小都市ですら弁護士は、ところにより裁判官の数より少ない。立法業務を行う行政府や立法府では、所属する法曹がきわめて少ないため、その業務は行政官に委ねられている。市民、庶民の人権擁護は、弁護士余りと言われる大都市でも、まだまだである。働く人々の相当数が非人道的な処遇に泣き寝入りし、実質2百10万人の認知症患者の多くが、法の暗黒領域に放置されて財産を盗まれ、虐待を受けている。弁護士の活動は、司法書士にはるかに劣っている。
にもかかわらず、弁護士の間でなぜスローダウンの動きが高まったのであろうか。
その原因は、良く言えば、彼らの誠実さにある。世話をした修習生のうち弁護士志望者全員に弁護士事務所を斡旋し、初めから自分たちと同じように安定した生活を保証しようとする。しかし、それが果たせるはずはない。国民の権利を守るため、従来の事務所は扱わない分野を自ら開拓して進行するための増員だからである。
弁護士は、司法書士、税理士などと同じく、資格であって、就業の保証ではない。他の資格と同じく、志を持ってその資格を社会に生かす途を自ら築いていくことを社会は予定している。そうでなければ、流動する社会のニーズは満たされない。他者に依存して既存のニーズを満たすだけの安定路線を求めていたのでは、やがて時代に取り残される。
にもかかわらず、現在の生活の安定にこだわり、増員をスローダウンしようとする発想は、悪く(正確に)言えば、法曹というサービス独占団体のエゴであり、法曹ギルドの維持を優先する考え方である。ましてや「弁護士が増え、競争が激しくなって収入が減ると、人権擁護のための活動がやりにくくなる」などという反対論は、競争の激化をおそれる個々の弁護士のエゴにはアピールするかもしれないが、国民の視点からみれば、あきれた屁理屈である。20余年前、司法改革に着手し、5百人を切る司法試験合格者数を増やそうとした時も、これに反対して同じ理由を言っていたのだから、恥ずかしい。
90年代、サービス提供者側の論理で医師が過剰だとし、減員を図ったところ、今日の惨状を招いた轍を踏んではいけない。
若い法曹は、いきなり高い報酬を求めるのでなく、法化社会の潜在ニーズを開拓しながら、実力を身に付けてほしいと願っている。
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(「民事法情報」No.259(2008.4.10)掲載) |
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